以下は、当ホームページの管理者が、以前いた会社の仕事の関係で書いたコラムである。個人ホームページである、当HPへの再掲載にあたっ て、前の会社の商品名を削除したり、若干書き直している。
お茶を「いれる」という日本語には、
- 「お茶という飲み物を作る(=結果としてお茶ができる)」
(英語で make (a cup of) tea にあたる)
- 「お茶を茶碗や湯飲みに注ぐ」(用例:「お茶が入りました、とお盆に載せて運んでくる」)
(英語で pour (a cup of) tea にあたる)
- 「茶葉を急須や薬缶に入れる」
という合計三種の意味が 包含されている。古来、最初の意味には、お茶の抽出 液の作成方法によって、「烹れる」「点れる」「煎れる」「淹れる」といった漢字が細かく使い分けられて当てられてきた。また、二番目と三番 目の意味に対しては、 主に「入れる」という漢字が当てられてきた。
お茶の作り方の技法を区別する言葉として、「煎/淹」が対になる表現として特に多く 使われてきた。「煎」という語は、「薬草を煎(せん)じる」という用法に見られるように、お茶の葉を、火にかけ沸騰させたお湯の中に入れ、 煮出してお茶を作ることをいう。これに対し、「淹(えん)」という語は、現在普通に行われているように、火から降ろしたお湯で、急須 に入れた茶葉を浸してお茶を作ることを指す。この「淹」の漢字は、本来、茶に関するバイブルである唐代の陸羽の「茶経」という書物に、「」 という表記で登場する。
この2つのお茶の作り方は、現在の形の煎茶がたしなまれるようになった、元禄時代から文化文政時代に特に意識して区別されていた。煎茶道は、日本にお いて抹茶道が 広まる以前の伝統的なお茶=「煎茶」を復興する、という意味合いがあった。この古来の「煎茶」は文字通り煮出して作る「煎茶」であった。それに対し、江戸 時代に復興した煎茶は、中国の華南地方で行われるようになっていた工夫茶の影響により、現在のスタイルと同じで茶葉を 急須に 入れてその中にお湯を注いで作るやり方であった。このやり方を当時、陸羽の茶経より表記を借りて「淹茶(えんちゃ)」と呼んだ。「煎れる/淹れる」と いう表記の 区別は、元々この「煎茶/淹茶」という区別に起因している。
現在でも、日本古来の番 茶(徳島の阿波番茶や高知の碁石茶など)は、煮出して作る「煎茶法」によって作る。(その意味で、「番茶を淹れる」は、本来誤りである。) しかしながら、一般の煎茶では、「淹茶法」が採られており、この2つの技法を細かく区別することは、専門家以外にはあまり意味を持 たない。(実際には「淹茶」であるのに、「煎茶」という言葉が使い続けられているように。)また、「煎/淹」の表記は、お茶を作るという以 外の2つの意味の「いれる」、つまり茶碗や湯飲みに注ぐという意味 や、茶葉を急須の中に入れる、という意味には使えない。それに対し、「入れる」は以上三つのすべての意味に使える汎用性を持っている。
参考文献:
陸羽「茶経」(平凡社東洋文庫289「中国の茶書」に収録)
NHK出版 小川後楽 著 「煎茶への招待」