「〜原」を「ばる」「はる」と読む地名



 
 
 
 
 
 

 九州には、「〜原」を本州のように「はら」や「わら」と読まずに、「ばる」「はる」と読む地名が非常に多い。例えば、「前原(まえばる)」、「春日原(かすがばる)」、「西都原(さいとばる)」などである。
 
 何故、九州にこの「〜ばる・はる」地名が多いのかの理由を探るために、次の作業を行ってみた。
(1)全国に「〜原」と書いて「〜ばる・はる」と読む地名がどのくらいあるか調べる
(2)(1)のうち、九州にどのくらいあるか調べる
(3)九州にあるこの手の地名の実際の分布を、白地図にプロットしてみる

 手順としては次のように行った。
(1)日本語変換ソフトのATOK15の辞書から「固有地名」の品詞を持つ単語を辞書ユーティリティーを使って抜き出す。
(2)(1)の単語(約6万語)の中から、表記として「〜原」、読みとして「〜ばる・はる」を持つ単語を抜き出す。
(3)(2)で抜き出された地名が、どこの都道府県に属するかを、インターネットの検索エンジンで、表記と読みをANDで検索して調べる。
(4)(3)の結果、場所がわかった地名の正確な場所をインターネットの地図検索サービスで調べる。

 さて、結果であるが、表記違いによる重複や駅名などを除いた結果、全国で99箇所あり、そのうち何と97箇所が九州・沖縄であった。以下に結果リストを示す。
 

福岡県 27箇所

飯原(いいばる),荷原(いないばる),柿原(かきばる),春日原(かすがばる)
上原(かみはる),九郎原(くろうばる),黒原(くろばる),郷原(ごうばる)
笹原(ささばる),塩原(しおばる),白木原(しらきばる),新田原(しんでんばる)
陣の原(じんのはる),新原(しんばる),太郎原(だいろばる)
茶屋の原(ちゃやのはる),唐原(とうのはる),塔原(とうのはる)
道原(どうばる),原(はる),檜原(ひばる),平原(ひらばる),前原(まえばる)
女原(みょうばる),屋形原(やかたばる),夕原(ゆうばる),柚須原(ゆすばる)

佐賀県 2箇所

中原(なかばる),蓑原(みのばる)

長崎県 2箇所

礫石原(くれいしばる),世知原(せちばる)

大分県 24箇所

秋原(あきばる),大原(おおはる),乙原(おとばる),柏原(かしわばる)
北原(きたばる),机張原(きちょうばる),城原(きばる),小池原(こいけばる)
古賀原(こがのはる),神原(こうばる),下原(しもばる),庄の原(しょうのはる)
城原(じょうはる),杉原(すぎばる),旦野原(だんのはる),長者原(ちょうじゃばる)
角子原(つのごはる),中原(なかはる),野津原(のつはる),拝田原(はいたばる)
日吉原(ひよしばる),都原(みやこばる),向原(むかいばる),吉野原(よしのはる)

熊本県 11箇所

上原(うわばる),岡原(おかはる),小原(おばる),久原(くばる),小原(こばる)
合ノ原(ごうのはる),下河原(しもかわはる),薄原(すすばる)
田原坂(たばるざか),西原(にしばる),宮原(みやばる)

宮崎県 14箇所

菖蒲原(あやめばる),糸原(いとばる),大内原(おおうちばる),川原(かわばる)
楠原(くすばる),久保原(くぼばる),西都原(さいとばる),高原(たかはる)
田原(たばる),茶臼原(ちゃうすばる),塚原(つかばる)
新田原(にゅうたばる),稗原(ひえばる),餅原(もちばる)

鹿児島県 9箇所

旭原(あさひばる),小野原(おのばる),柊原(くぬぎばる),崎原(さきばる)
永小原(ながおばる),西紫原(にしむらさきばる),根木原(ねぎばる)
東原(ひがしばる),紫原(むらさきばる)

沖縄県 8箇所

伊原間(いばるま),西原(いりばる),宇栄原(うえばる),運天原(うんてんばる)
桃原(とうばる),南風原(はえばる),南桃原(みなみとうばる),与那原(よなばる)

その他:富山県 2箇所

針原新町(はりばるしんまち),針原中(はりばるなか)
 
 

 ご覧のように、九州・沖縄以外では、わずかに富山県に2箇所あるだけである。富山県にある理由は不明(おそらく九州からの移住者が開いた新地などか)であるが、何にせよ、これだけ地域に偏在する地名パターンというのも珍しいのではないか。

 さて、上記の地名のうち、九州本土に存在するものを、白地図にプロットしたのが下図である。
 

 
 
 
 上記の分布図を眺めると、以下のようなことが読みとれる。

(1)平野部か山間の盆地か、いずれにせよ平な場所に多い
(2)(1)にも関わらず、分布の仕方にはかなりの偏りがある。平野や盆地があるからといって必ず「〜ばる・はる」地名が存在するわけではない。
(3)特に、博多周辺、大分平野、宮崎周辺など、上記の地図で青丸で囲ったところに集中している。
(4)逆に、熊本中部・南部〜鹿児島西部にかけてはほとんど存在しない。佐賀や長崎にも少ない。
(5)博多周辺や大分平野などの場所では、きわめて狭い範囲に多数の、それぞれ別の名前をもつ「〜ばる・はる」地名が存在する。また位置関係として線上につながっているように見える。
 

 ここで、ちょっと元に戻って、この「〜ばる・はる」地名の語源について調べたことを紹介してみる。

(1)韓国語・朝鮮語起源説

 韓国語で「原」を意味する言葉に「ボル」がある。地域の偏りから言って、九州の「〜ばる・はる」の地名パターンはこの韓国語が半島から渡来した集団によってもたらされた。(日本国語大辞典など)

→ 当ページ作者の意見

 一聴してもっともらしい意見で、この地名パターンが九州・沖縄にのみ存在する理由の説明にもなる。ただし、次の点で問題がある。

[1] 韓国側にも、「〜原」で「〜ボル」という地名があってもおかしくない筈
  → これは確認できない。現在の韓国語では「原」は「水原(スーウォン)」のように「ウォン」と音読みし、「(ムル)ボル」とは読まない。このことには理由があって、日本が朝鮮併合の時代に、地名を整理し、ほとんどを音読みに統一してしまったのである。ただ、光岡雅彦氏の「韓国古地名の謎」(学生社、1982年)によれば、韓国の古地名で「村落」を意味する「伐(ポル)」という地名接尾語があったそうだ。

[2] 佐賀、長崎、熊本西部等にこの地名が少ない理由が説明できない。

(2)古日本語説

 「墾る(はる)」が転じたもの。つまりは稲作のため開墾された場所を示す。
 または、「山間部から平野部に『張り出した』場所」を示す。(「『地名学』が解いた邪馬台国、楠原佑介著、徳間書店、2002年)
 「はるばる見晴らしが良い場所」という説もあるらしい。

→ 当ページ作者の意見

 沖積平野など、稲作に適した場所に多いことを説明できる。ただし、やはり熊本西部などに無いことや線上に連なって存在することを説明できない。

(3)その他の説

 壱岐に多い「〜触(ふれ)」という「村」を意味する地名が伝わったもの。
 マレー語の「バール」(街、ジョホール・バールなどの「バール」)が伝わったもの。

→ 当ページ作者の意見

 「触れ」説は、韓国語説と同じレベル。マレー語説については、分布の仕方から言ってあまり考えられない(もしマレー起源なら、むしろ南西諸島や九州南部に多い筈)。
 

 以上のような、各種の語源説を考慮した上で、実際に今回判明した地理的分布から、当ページ作者が考えたことを以下に述べる。内容は自由な想像に近いもので、必ずしも学問的なものではない。しかしながら、これまでの「〜ばる・はる」地名の論議では指摘されていない論点だと確信する。

(1)「〜ばる・はる」地名は、稲作地帯に隣接する居住空間ではないか。

(2)居住空間であっても、狭い範囲に多くの「ばる・はる」が集中していることから、それぞれの「クニ」を構成する氏族の「館(やかた)」という意味を持つのではないか。

(3)線上に並んでいるのは、「クニ」の防衛ラインを形成しているのではないか。実際に、これらの「はる・ばる」の集落が成立した弥生時代は、「倭国大乱」の戦乱の時代であったことを忘れてはならない。重要な水田地帯を守るために、これらの集落は配置されていたと見るべきではないか。傍証として、「ばる・はる」地名には城が存在している場合が多い。糸島半島の怡土(イト)城、太宰府を守る大野城(春日原、白木原)、また大分の旦野原(だんのはる)には、重要な戦略拠点として、後の律令時代に軍団が置かれている。また、偶然かもしれないが、「〜はる・ばる」地名には、後世飛行場が置かれている場合が多くある。(宮崎の新田原{にゅうたばる}、北九州の新田原{しんでんばる}、鹿児島の鹿屋など。)

(4)上記の地図で青丸で囲まれた部分は、それぞれ独立の「クニ」であるが、何らかの同盟関係にあったのではないか。「ばる・はる」地名はこの同盟関係にあった国々で共通したある地名の呼び方ではないのか。飛躍するかもしれないが、この同盟は、魏志倭人伝に出てくる「女王国連合」ではないか。熊本中部・南部などに「〜ばる・はる」地名が無いのは、この女王連合と対抗する狗奴国(くなこく)が支配していた地域だからではないのか。

(5)竹田市周辺や、都城、鹿屋周辺は、これまでの邪馬台国論議の中であまり取り上げられていないが、今回の「ばる・はる」分布調査の結果からみて、少なくとも魏志倭人伝に登場する旁国の一つではないのだろうか。
 

 いずれにせよ、当ページを読まれた方の公正な判断をお待ちしたい。 

(2002年3月3日記)


追記:2002年3月4日

 「〜はる・ばる」以外に、九州に目立つ地名として「〜丸」がある。「〜はる・ばる」ほどではないが、同じ方法で調べたら、全国で232箇所、そのうち59箇所が九州だった。特に福岡県には37箇所もある。(田主丸、太郎丸、次郎丸、千代丸、王丸、武丸、犬丸など)
 また、九州以外に、北陸の福井・石川・富山で合計40箇所もある。(「〜はる・ばる」地名についても、九州以外では富山であったことに注意。)

 ふと思ったが、この「〜丸」地名も語源は「〜ばる・はる」ではないのだろうか。BARUとMARUのB音、M音はどちらも口唇音(唇を合わせて発音する)であり、比較的容易に交代しやすい。たとえば、標準語で「さむい」(寒い)を福岡では「さぶい」と言う。また、汚い話で恐縮だが、大小便をすることについて、「まる、ばる」の両方を福岡では使う。「〜丸」地名が分布している地域も「〜ばる・はる」と似通っているようだ。

 もし、「〜丸」が「〜ばる・はる」から来ているとしたら、今回の私の推論にとって裏付けになる。なぜならば、ご承知のように「〜丸」は後に、城の「本丸」「二の丸」という風に使われている。まさしく「砦」なのである。ここでまたまた飛躍すれば、船の名前に「〜丸」を付けるのも、一般には「麻呂」が転化したと言われているが、実は古くから半島・大陸と行き来があり、航海術にたけていた九州の連合国の言葉から来ているのではないだろうか。

再追記:2002年3月5日

 すっかり忘れていたが、韓国語にはマウルという言葉がある。
村、部落、里、郷、洞里」という意味である。韓国を訪れたことがある方なら、「セマウル」という特急列車をご存知かと思うが、「セマウル=新しい村」という意味である。上述したように、「原=ボル」と読む地名は、現在の韓国には今のところ発見できていない。(ただ、ソウルの語源をソラボル=大きな野原、とする説があるらしい。)しかしながら、この「マウル」は普通に使われる地名接尾語として、つまり「〜村」の意味で、韓国のあちらこちらに見いだすことができる。意味も私が想像した「〜ばる・はる」の原義と非常に合致する。

 この「マウル」が九州に入って、後に「〜丸」で表記される地名になったのではないだろうか。この説は「〜丸」地名が福岡と北陸に多いという地理的分布を良く説明できる。

 つまり韓国語マウル→〜マル(丸)→〜バル(原)、〜ハル(原)というルートである。共通語の、「〜原」(〜はら、わら)はおそらく別語源の言葉であったのが、たまたま漢字が伝来してから双方に同じ字があてられ、混同されるようになったのではないか。これをもって、当ページ作者の当面の仮説としたい。

(なお、参考までに、現在も残っている韓国の「村(マウル)」として、安東の河回村の例を平石さんのHPにて確認できる。このページの河回村の写真は、私が今回想像した「バル・ハル」「マル」の原型に近いものがあると思う。)
 

再々追記:2002年3月10日

 谷 有二著「山の名前で読み解く日本史」(青春出版社、2002年)という本でも、九州の「〜丸」地名は、朝鮮語マウルから来ているのではないか、と主張していた。この本によると、日本統治時代の朝鮮半島の5万分の1地形図では、大里(クンマル)、官里(カンマル)、坪里(ポルマル)など、無数の「〜マル」地名が発見できるそうである。

 また、吉野ヶ里遺跡のある佐賀平野の5万分の1地形図をチェックした結果、上記の分布図では少ないが、実際には多数の「〜原(ばる・はる)」地名(中原、城原、境原、壱岐原など)、「〜丸」地名(薬師丸→薬師丸ひろ子の名字はここから来ているらしい、四郎丸、持丸、鬼丸など)を発見することができた。

 「〜丸」地名は、福岡県では、宗像市から鞍手郡にかけてと、甘木市・田主丸町周辺および周防灘側の築城町・豊前市あたりに多い。飯塚市周辺や、福岡市西部から糸島半島にかけても数ヶ所ある。

 「〜原(ばる・はる)」地名の銀座通りとも言える福岡市から太宰府にかけては、「〜丸」地名はほとんどない。しかし、他の地域では「〜原(ばる・はる)」と「〜丸」は混在している。はなはだしい場合は、嘉穂郡の「九郎原−九郎丸」のように、わずかな距離で同じ名前の両地名が共存している場所もある。したがって、両者の分布に地理的な立地条件の差を見いだすのは難しい。
 


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