「羽入氏論考」第 1章 「"calling"概念をめぐる資料操作」の批判的検証
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門外漢による「貧者の一灯」その2---

t-maru
2004年5月23日


  2004年4月5日に、「羽 入−折原論争への応答−−−門外漢による「貧者の一灯」」を 寄稿させていただいたt-maruです。前 稿で筆者は、敢えて羽入氏の論考の中心的な論点には踏み込まず、主に周辺的なことを取り上げ、マックス・ヴェーバーおよび折原氏側に立つ弁護側の 証人としての論考を提示しました。

 その後、合間を見て研究を続け、特に最近になって入手できたベ ンソン・ボブリックの「聖書英訳物語」(柏書房、日本語訳;現著作者 Benson Bobrick, "Wide as the waters"、千葉喜久枝訳、大泉尚子訳、永田竹司監修、以下「BB本」と略 記)を参照し研究を進めることができました。著者のベンソン・ボブリックはamazon のレビューによると、"Benson Bobrick earned his Ph.D. from Columbia University and is the author of several books, including Angel in the Whirlwind, an acclaimed narrative history of the American Revolution."とのことであり、本書は学術書ではなく一般向け啓蒙書です。そうではあっても、日本語訳は国際基督教大学の永田竹司氏(聖書学) によって監修されており、その紹介によれば、「詳細な歴史情報の調査・研究に基づく歴史書としての質を保持しつつ、同時にその歴史を形成した重要な人物 像、政治的、宗教的、文化的脈絡に対する洞察に富んだ、人の心を動かす物語となっている。」とされています。(日本語訳 pp.257-258)私個人と しても、非常に詳細で、正確な歴史記述がされていると感じています。
 
  本書以外に、研究資料としては、田 川建三氏の「書物としての新約聖書」も活用しました。学術論文に批判を加える以上、可能な限り「学術的な」資料に基づくのが望ましいことは当然で す。しかしながら、たとえば英訳聖書の歴史においてドイツのルターに匹敵するティンダルについて、1948年〜1999年の50年間で日本では学術論文は わずかに 3本しか出ていない、という状況(「ウィ リアム・ティンダル―ある聖書翻訳者の生涯」デイヴィド ダニエル (著), David Daniell (原著), 田川 建三 (翻訳)、における田川氏による訳者後書き、p.751)では、一般書に頼るのもやむを得ないということをどうかご理解ください。また、前 稿でも書きました通り、筆者は現在地方在住の一般人であり、大学図書館等の研究リソースの利用が困難、という事情も斟酌ください。

 本稿で は、BB本の詳細な英訳聖書史を踏まえた上で、改めて羽入氏の論考の第1章である、「"calling"概念をめぐる資料操作」を検証しつつ読み直してみ ました。BB本が学術書ではないという事情に鑑み、可能な限りはインターネット他で得られるリソースも参照して、裏付けを取るようにしました。ただし、す べての箇所においてそれができたわけではなく、この点は、正規の研究者の方によるご批判を仰ぎたいと思いますし、また再検証していただければ幸甚です。

 なお、 英訳聖書の歴史にあまり通じていない方にも、本稿の検証にできるだけおつきあいしていただくという目的で、この論考の末尾に簡 単な英訳聖書に関する年表を挿入しました。適宜その表を参照しながら読んでいただければ幸いです。

 結論を先に申し上げますが、東京大学大学院人文科学研究科に提出され、それに 対して博士号が授与された論文が基になっている羽入氏の論考は、単純な事実誤認、「文献学的」誤り や無理な解釈が多く、そうしたものに基づく論点がほぼすべて妥当性を欠いている、ということが検証できたと思います。本来この検証では、 BB本で大体の目安をつけ、問題がありそうな所を抜き出し、その後改めて入手できる学術書で検証を進める、という手順を考えていました。しかしながら羽入 氏の論考の第1章は、以下の検証だけで十分に反駁可能であり、さらに第二弾の検証を行う必要性は感じられませんでした。

以下、そ の検証結果を報告します。

 検証したのは、次の4点です。

  1. 英 語圏における「旧約聖書外典」の扱いについて
  2. 「ジュ ネーブ聖書」について
  3. コ リント 7.20を"vocation"と訳したもう一つの例外聖書とはどの聖書か
  4. OED の"calling"説明の解釈について


1. 英語圏における「旧約聖書外典」の扱いについて

 羽入氏は、ヴェーバーが一貫して旧約聖書 外典中の「ベン・シラの知恵」の訳語を調査せず、特に英訳聖書についてそれをしていないことを問題にしています。(羽入氏論考、p.26)

 BB本によれば、英語圏での旧約聖書外典の英訳の扱いは、こうなっています。 「1825年までに、聖書外典の訳は全ての英訳聖書に含まれることとなった。その後それはどこかの時点で抜け落ちてしまった。教義至上主義のピューリタン がローマ風の考え全てを拒絶したことの犠牲である。今日に至っても聖書外典を手にするのがとても大変なのは残念なことである。」とされています。 (p.200、以下すべて日本語訳のページ)

 実際に調査した結果では、1611年のいわゆるキング・ジェイムズ の欽定聖書(巻 末表の 20)では、「外典」の訳が含まれていたものが、1885年になって(巻 末表の 21)正式に聖書の英訳の中から取り除かれているという記述を確認できます。(たとえば次の Webサイトの記述)
"1611 AD: The King James Bible Printed; Originally with All 80 Books. The Apocrypha was Officially Removed in 1885 Leaving Only 66 Books."

 ヴェーバーは筆者の前 稿で指摘したように、当時の読者が容易に参照可能な世俗語訳聖書をトポス(読者と共通の了解事項としての推論のスタート地点)として、過去に遡っ てその起源をたどる、という論述の進め方をしています。この点で、ドイツではルターが「外典」について比較的寛容であったため、おそらくヴェーバーの当時 でも容易に一般の人が参照可能であったと思われます。これに対し、英語圏では、まさに外典が正式な聖書から外された直後であり、ヴェーバーの論述の進め方 として「ベン・シラの知恵」を定点観測用に使うのは適していなかった、ということが言えます。(外典が入手しにくいのは、日本でも同じでしたが、最近は 「旧約聖書続編」という名称で新共同訳旧約聖書の末尾に追加された形で出版される場合が多くなり、入手が容易になっています。)

 ルター思想の英訳聖書への影響が、「必ず『ベン・シラの知恵』を経由していな ければならない」という疑似問題については、すでに折原氏が詳細に反論済みですので、ここでは省略します。(折原浩、「ヴェーバー学のすすめ」p.60以 下)


2. 「ジュネーブ聖書」について

 「ジュネーブ聖書」とは、スイスのジュネーブに亡命していたカルヴァン派プロ テスタントによる英訳聖書です。(巻 末表の 14と15)その翻訳はそれまでの英訳にくらべ正確さが向上しており、また初めてひげ文字体(ゴシック体)ではなくローマン体の活字を用いて読みやすくし たり、また今日の聖書では一般的な「コリント機7.20」のような番号による章節分けを初めて行った聖書でもあります。さらには、欄外にカトリックの教 義への批判と解釈されうる注が付加されていることでも有名でした。

 この 「ジュネーブ聖書」について羽入氏は、「ヴェーバーやOEDが『1557年ジュネー ブ聖書』と言及しているものは存在しない。1557年の聖書として存在するのは『ウィティンガム訳の新約聖書』であり、いわゆる有名な『1560年ジュ ネーブ聖書』ではない。OEDはこの点で誤っていて、現在の版ですら修正されていない。ヴェーバーは『1560年ジュネーブ 聖書』の現物を見たことがない。したがってOEDの間違いに気づかず、それをそのまま引き継いだのだろう。」、等々の指摘をしております。(羽入氏論考、 pp.39- 40)実際に、その指摘がこの第1章の論考のかなりの部分を占めています。

 しかしながら、この羽入氏の論考は、「1557年 のウィティンガム訳の新約聖書」と「1560年のジュネーブ聖書」がまったく別のものである、という単純な誤った思いこみに基づいています。

 この「ジュネーブ聖書」の成立過程は、BB本によれば以下のようになります。 メアリー女王のプロテスタント迫害によりジュネーブに亡命していたウィリアム・ホウィッティンガム(
William Whittingham、カルヴァンと姻戚関係、羽入氏論考では「ウィティンガム」と表記)が、まず1557年に ティンダル訳(巻 末表の 8)を基に新約聖書 の英訳を行っています。(巻 末表の 14)その3年後に、旧約と外典の英訳が追加され、さらに新約のホウィッティンガム訳について一部の単語の訳などの見直しが施された上でまとめられたの が、羽入氏の言う 「ジュネーブ聖書 1560年版」です。(巻 末表の 15、BB本、pp.138-139)羽入氏はこの2つをまったく別のものとして扱っていますが、BB本の説明にある 通り、新 約部分の1560年版は、1557年版の単なる校訂版に過ぎません。つまり、新約に関しては、ジュネーブ聖書は1557年版と1560年版 が存在することになります。このあたりの事情は、次のような複数のWebサイトで簡単に再確認することができます。
The Geneva Bible:The Forgotten Translation

The Geneva Bible (1557-1560)
The Geneva Bible

 なお、「ジュネーブ聖書」という言い方も、あくまでジュネーブで出版されたことか ら来る「通称」であり、1560年版のみが「ジュネーブ聖書」であるという羽入氏の主張は、おそらく何かの参考書籍の記述を誤解したと思われ、根拠を見い だせません。

 ここ で、ヴェーバーの記述とOEDの記述を再確認してみてください。どちらも「1557 ジュネーブ」(OED:"1557 Geneva")と「正確に」表現しています。年号を省略して単に「ジュネーブ聖書」とはしていません。どちらの引用にも問題なく、ジュネーブ聖書の成立 事情を正確に把握していない羽入氏だけが、ヴェーバーもOEDも誤っている、「『1557年のジュネーブ聖書』などありえない」、と主張しています。(羽 入氏論考 p.40)なお、BB本に記載されているように、1557年版と1560年版では多少の訳語の見直しが行われており、1557年版は例の問題の箇所が "state"、1560年版は"vocation"と訳されています。そのことをヴェーバーもOEDも正しく指摘しているにもかかわらず、羽入氏は 1560年版が"vocation"となっているのだから、ヴェーバーの論述は間違っている、それはOEDの誤りをそのまま引き継いだのだろう、と無理な 決めつけをしています。(羽入氏論考、p.39)しかも、両版の扉絵写真を掲げ、よく似ているから間違えやすい、などという誤りの理由まで仮構して的はず れな批判をヴェーバーおよびOEDに対して加えています。(羽入氏論考、p.40)

 OED については、その編集の基本方針として、単語の初出を探る、というのがありますから、その意味でもジュネーブ聖書の新約聖書部分について、 1557年版と1560年版を別のものとして区別するのは当然です。OEDの解説書(A Guide to the Oxford English Dictionary, Donna Lee Berg、Oxford University Press, 1993)によれば、OEDでは1560年版を"the Geneva (1560)"と"the"付きで表記、そして1557年版の新約は"1557 N.T. (Genev.)"と表記しているとのことです。("callling"の項では、"1557 Geneva"ですが、これはその前にコリント書からの引用であることが明記されていて、わざわざ新約聖書であることをことわる必要がないからでしょ う。)(田川氏の「書物としての新約聖書」p.557によれば、聖書研究者の間では、厳密に 区別する場合には1557年の新約を「ジュネーブ新約聖書」、1560年の全体を「ジュネーブ聖書」と呼ぶそうです。さらに、もう一種、 「ジュネーブ聖書」でやはりジュネーブで印刷された1588年のフランス語版を指すこともあります。

  OEDの現代版でもこの部分が改訂されていないのは、OED初版の間違いが現代まで見逃されているのではなく、元々何ら誤っていないからです。羽入氏が指 摘する「OEDの誤り」を検証もせずに事実であるかのように扱うのは公平性を欠きかつ学問の原理にも悖ります。(もちろん、OEDが無謬である、などと主 張する気はありませんが。)このことは、羽入氏の他の主張についても同様です。

 羽入氏 の主張する「文献学」的手法は、多くの場合、扉絵写真の例に見られるように「原典の姿」を確認することを指しているように読めます。しかし、この場合に典 型として確認できるように、「第1次資料」を確認することが、文献の解釈の正しさに何の寄与もしていません。羽入氏の論考で 確認すべきなのは、テキストそのものが成立した背景と、文献から抽出された「テキスト」そのものです。(活版印刷発明後の聖書については、すべて同様で す。手書き写本のようにテキストの抽出に揺れが生じる、といった可能性は非常に低くなります。)ヴェーバーが、その研究において現物の「ジュネーブ聖書」 を確認する必要性は、そのテキストの抽出作業がすでに別の人によって完了している限り、通常は高くありません。(各聖書の印刷技術の確認とか、装丁の確認 といった特殊な研究 目的が存在しない限り)この意味で、羽入氏が「ヴェーバーが1次資料を参照していなかった」という批判は批判としての妥当性を欠いています。むしろ、研究 当時の最新かつ最良の研究リソースであった、OED(その当時は第2巻が発刊されただけのもの)を非常に適切に参照していることを、積極的に評価すべきで す。森川剛光氏が、こ のコーナーへの2月22日の寄稿にて、ヴェーバーを含む歴史学派がその研究の多くを二次文献に依存している、と指摘されています。それ自体、一般 論としては正しくとも、羽入氏の妥当性を欠く指摘と結びつけて、「ここでもヴェーバーは二次文献しか使用していない」というネガティブな評価とするのは適 切な評価とは言えないと思います。(余談になりますが、筆者は大学の卒論でやはり歴史学派であるK・ポランニーの貨幣論を取り上げたので、森川氏の指摘に は非常に関心があります。)


3. コ リント 7.20を"vocation"と訳したもう一つの例外聖書とはどの聖書か

 続いて、「1582年の(カトリックの)ランス聖書も、エリザベス朝のイギリ ス国教会の宮廷用聖書も、再び公認ラテン語聖書にならって》vocation《に帰っているのは注目に値しよう。」(ヴェーバー「倫理」、岩波文庫、大塚 訳 p.108)の部分についての、羽入氏の論述を検証してみましょう。
 
 まず、ランス聖書とは、BB本によれば、エリザベス1世の時代に、今度はカト リック教徒が大陸のフランドル地方のドゥエに亡命して、そこで作成した英訳聖書です。正式にはランス(ドゥエ)新約聖書(Douai Rheims Version)というようです。(巻 末表の 17,19)(なお、細かいことですが、羽入氏は「リームズ・ダウエイ聖書」と呼んでいます。これは英語読みであり、「ランス大聖堂」を「リームズ大聖 堂」と呼ばないのと同じで、日本の聖書学では一般的ではありません。)この英訳の特徴は、カトリック側での初めての聖書英訳であり、プロテスタント側のよ うにギリシア語や、ヘブライ語からの英訳ではなく、主としてヒエロニムスのラテン語訳聖書であるヴルガータ聖書(巻 末表の 2)から翻訳されているということです。また、プロテスタント側の訳とさらに違うのは、英語にそもそも存在しない概念を、まさしく"calling"のよ うな訳語を創造することなく、なるべくラテン語そのままを残した形の英訳にしたことです。(BB本、pp.149-153)

 その結果、プロテスタント訳では “Give us this day, our daily bread” のように平易に英訳された箇所が、この訳では“Give us this day, our super-substantiated bread” という風に、英語とラテン語起源の単語の交じった庶民にはわかりにくいものとなっています。(The 1582 Rheims New Testament:The First English Roman Catholic Scriptures) こうした方針により、英語訳として翻訳者によって創出された"calling"ではなく、再びラテン語に基づく"vocation"が使われるということ は当然であり、ヴェーバーの論述には重要です。

 
 この聖書は、カトリック側が訳したにもかかわらず、ラテン語の原語を容易に参 照できるという点で、プロテスタント側にも重宝がられ、1611年の欽定訳(キング・ジェイムズ聖書)の作成にあたっても、その訳語が一部そのまま採り入 れられたりしています。(BB本、p.154)

 さて、「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」というもう一つの例外聖 書ですが、これは本来傍証に過ぎず、この聖書の特定はどうでもいいことに思われます。ですが、ここでも羽入氏は奇妙な推定と議論を繰り広げていますので、 それを指摘しておきます。羽入氏は、まず可能性があるのは、1568年の「主教訳」(BB本では「主教聖書」、巻 末表の16)ではないかとしています。しかしながら羽入氏も確認しているように、この聖書は該当箇所で"vocation"を採用していません。 また、BB本によれば、エリザベス女王はこの聖書に何らの関心も示さず、一度も公認しなかった、ということなので(p.146)、もう一つの例外聖書は 「主教聖書」ではありません。
 
 その後、羽入氏のp.42-43あたりの「推理」は、2.のジュネーブ聖書の解釈が間違っていることもあって、迷走しています。特に、羽入氏が「エリザ ベス朝時代(1558-1603)には新たな聖書は三種類しか出されていない。」(羽入氏論考、p.42)と断言している点から、羽入氏が英訳聖 書に関しては表面的にしか調べていないことがまたも窺えます。確かに、今日「研究の対象にされる」ような英訳聖書は、巻 末表の 15、 16および17の3種です。しかしながら、このことは他の聖書(場合によっては既存聖書の再編集版や改訂版など)がなかった、ということの論証にはまった くなっていません。それを調べるのが「文献学」のまさに責務だと思いますが。こうした自分側の不備は放置し、「要素を独断的に有限に限定した上での消去 法」という架空の論理でヴェーバーがカルヴィニズムの聖書英訳(1560年ジュネーブ聖書)をイギリス国教会の宮廷用聖書と混同した、とヴェーバー自身が まったくあずかり知らない牽強付会の議論にすり替えを行っています。

 羽入氏 が本来行うべきだった作業を、筆者が成り代わって行ってみます。このもう一つの例外聖書について、確証は得ていませんが、1589年に William Fulke が出した、「ファルクによる注釈付き新約聖書」(巻 末表の 18のことではないかと推定します。(The Bible as Battlefield 参照。)この聖書(論駁書)は、プロテスタントのファルクが、巻 末表の17の 「ランス聖書」を徹底批判する目的で、ランス聖書と、16の主教訳聖書の両方を対比させる形で収録し、なおかつランス聖書の元々の注釈に、ファルク自身の 徹底した論駁を加えたものです。(実 際のページ写真を参照)この聖書には、自明ですが上記ランス聖書とまったく同じ訳が含まれており、さらに付記すればランス聖書はそのままの形で読 まれるよりも、このファルクの批判本を通じて一般に普及したということです。また、羽入氏がこだわっている、この部分の聖書という表現が「Bibelnと いう複数形」である問題(羽入氏論考、p.43)も、ファルク本が「2つの」異なる聖書翻訳を同時に含んでいることを指していると考えれば矛盾しません。 または、ファルク本自体の複数の版を指しているという可能性もあります。

 この項 については現時点では結論は保留とさせていただきます。ファルク本が実際に宮廷で使用されたかどうかは確認が取れていないからです。ですが、「文献学」を 標榜してやまない羽入氏の推論と、筆者の推論のどちらがより学問的な論証かは、読者の判断に委ねます。なお、このもう一つの聖書、が明らかになれば、 ヴェーバーが英訳聖書研究において、 OED以外の資料も参考にしているという証拠にもなります。


4. OEDの"calling"説明の解釈について

 次に、OEDの"calling"の説明と、それについてのヴェーバーの解釈に関する羽入 氏の論述を検証します。羽入氏は、ヴェーバーが「イギリスについてみると、クランマーの聖書翻訳が≫calling≪を≫trade≪の意味に用いるピュ ウリタン的な用語法の起源となっていることは、すでにマレー(Murray)がcallingの項で適切にも認めているとおりだ。」(「倫理」、大塚訳、 p.108)と主張していることに、批判を加えます。その論点は

  1. コリント 7.20の該当部分を"calling"と最初に訳したのはクランマーではなくカヴァデールである
  2. クランマー聖書は成立事情から考えて、「ピューリタン」的な概念の起源とはなりえない
の2つで す。整理するために、OEDに挙げられている用例と、羽入氏自身の調査による、カヴァデール聖書、マシュー訳聖書のこの部分の訳を列挙します。(下線・強 調は筆者 による)

1382 (巻 末表の 3)Wyclif,  Eche man in what clepynge  he is cleped
1534 (巻 末表の 8の改訂版)Tindale,  in the same state  wherein he was called
1535 (巻 末表の 10)Coverdale, in the callynge wherin he is called
1537 (巻 末表の 11)Matthew, in the same state wherin he was called
1539 (巻 末表の 13)Cranmer, in the same callinge, wherin  he was called
1557 (巻 末表の 14)Geneva NT, in the same state wherin he was called
1560
巻 末表の 15)Geneva, in the same vocation wherein he was called
1582 (巻 末表の 17)Rhem, in the vocation that he vvas called
1611 (巻 末表の 20)King James, in the same callinge, wherin  he was called

 まず、 正確に言うなら、この部分を "calling"相当語に初めて英訳したのは、ウィクリフです。("clepynge”は"calling"の古型)この翻訳は、OEDにもその後の用 例の展開がないように、あくまでウィクリフの聖書英訳の中に留まって、「職業」の意味にまで発展していませんので、これは対象外と見なせます。
 
 16世紀に、最初にこの部分に"callynge"という訳語を与えたのは、羽入氏の確認が正しければ、クランマー聖書より先にカヴァデール聖書なのか もしれません。(この点は羽入氏のこの論文における唯一の「文献学的」新事実発見かもしれません。)ただし、カヴァデールは、ギリシア語の知識もヘブライ 語の知識もほとんどなく、今日的な言い方ではその聖書訳はティンダル訳を 「盗作」したものであり、後のクランマー訳の準備としてのみ評価され、学術的には重視されていません。また、1611年のキング・ジェイムズ聖書で採用さ れその後定訳となったのとまったく同じ訳がクランマー訳から始まっている、ということが用例の変遷で確認でき、OEDやヴェーバーの主張に特に問題がある とは思えません。

 それか ら、クランマー訳の性格ですが、確かに羽入氏の主張するとおり、この聖書の成立事情は「純ピューリタン的」とは言い難い部分があります。しかしながら、 16世紀、17世紀の聖書英訳は、ほぼすべてがティンダル訳をベースにしており、英国国教会もプロテスタントとカトリックの間で複雑に揺れ動いていたこと を考えれば、「クランマー訳が保守反動的聖書だから純ピューリタン的な考えの嚆矢となるのはおかしい」という議論は、正鵠を得ていないと思います。上記の 表を見れば、訳語が揺れを見せながら、1611 年のキング・ジェイムズ訳で"calling"に収束し、その間に意味も「神の召命→召命された時の状態、身分→その身分を成り立たせているような職業」 という風に変遷していった、というのがOEDの説明であり、ヴェーバーの理解だと思います。

  なるほど、もっともルター派に近かったティンダルは この部分を"calling"とは訳していません。しかしながら、ティンダルについては、訳語よりも、「悪しきマモンの譬え」という書物(1528年)の 中に見られるような主張の方がヴェーバーの論述にとっては重要です。「神に喜ばれるという点では、どの業が他のどれよりすぐれいてる、ということはな い。……使徒であろうと、靴屋であろうと……。台所の使用人で主人の皿を洗っていようと、使徒であって神の言葉を説いていようと……。仕事と仕事を比べれ ば、皿洗いと神の言葉の説教では違いがある。しかし神に喜ばれるという点では、まったく違いがないのである」。ここではルターよりもむしろ尖鋭化している 「世俗職業の聖化の思想」の例を確認できます。(「ウィ リアム・ティンダル―ある聖書翻訳者の生涯」、p.283)こうした、「翻訳者の精神」が、直接訳語に反映されなくとも、最後は、 "calling"に「職業=神の思し召し」の意味を付与することに結果としてなった、というのが、ここでの私の補則解釈です。

 最後 に、羽入氏論考のp.50で指摘されているOEDの用例についての ヴェーバーの理解について検証してみます。羽入氏は、ヴェーバーが、OEDの"calling"の項で、本来採り上げるべき意味項目である「職業(OED の説明項目の11)」の用例 ではなく、別の意味項目である「地位(同10)」の用例に準拠しているから、論述が誤りだとしています。具体的には"greater calling"といった用例は「職業」の用例ではなく、「地位」の用例であるから、ヴェーバーの論述は成り立たないとしています。(羽入氏論考、 p.50)

 しかしながら、ジュネーブ聖書の件では存在していない誤りを追及してOEDの 名誉を毀損した羽入氏が、今度は逆にOEDの意味分類を過剰評価しています。あたりまえの話ですが、辞書の説明が先にあって言葉の意味が定まるのではな く、色々な用例を収集して、その中に共通に含まれる「意味」を抽出して、辞書の説明は記述されます。その意味を複数に分類する場合には、お互いに近い意味 であるほど、また 時代的に接近しているほど、近い場所に分類されます。従って、"calling"の意味項目として隣接する10と11がお互いの用例を相互利用してはいけ ないほど厳格に区別されなければならない、と解釈するのは無理があると思います。それにそれ以上に、OED自身の説明の中に、「職業 (11)」の意味については、しばしば「身分(10)」の意味と語源が同じである("Often etymologized in the same way as prec.")と明記されております。羽入氏はOEDの記述のコピーを掲載しつつも、この部分については言及していないのは公正な態度とは言えません。


 以上が、筆者のこれまでの検証結果です。準拠したリソースは可能な限り記載ま たはリンクを付加しましたので、できればどなたでも再検証していただければ幸甚です。筆者の検証の結果は、単純ミスと強引なすり替え論理が非常に多い、と いうことになりました。しかも、多くの場合、羽入氏は自分が間違っているという可能性を想定せず、ほとんど一方的にヴェーバー他の学者に感情的とも言える 非難を繰り返すものでした。折原氏の「ヴェーバー学のすすめ」における反駁と、本稿における反駁を合わせて、羽入氏の論考の大部分は誤りとして証明された と考えています。もちろん、本稿で指摘したすべての点において、羽入氏による「学問的」反論は、筆者の大いに期待するところです。その反論が出て、それに よって羽入氏の論点のいくばくかが正当性を再度認められない限り、仮定であっても「羽入氏の○○という指摘は正しいかもしれないが」といった論理は、今後 本コーナーにおいては用いるのをやめた方がよいと思います。もちろん、それ以上に、羽入氏の論考に何らの学問的検証を加えることなく、山本七平賞を授与し た側の責任は今後厳しく追及されるべきと考えますが、それについての論述は機会を改めたいと思います。

以上


表1:本稿のための、英訳聖書を中心とする簡単な聖書の翻訳史
番号
成立(出 版)年
内容
略称
1
紀元前3 世紀
70人訳 (Septuaginta)。旧約聖書のギリシア語訳。
LXX
2
405年
「ヴル ガータ」版聖書の翻訳。ヒエロニムスによる、ラテン語訳の聖書。カトリックの正式の聖書として扱われる。

3
1382 年
ウィクリ フ訳第1版。ヴルガータ版からの最初の英訳。
TWT
4
1395 年
ウィクリ フ訳英訳聖書の第2版。

5
1455 年
グーテン ベルク聖書。印刷された最初のラテン語訳聖書。

6
1516 年
エラスム スの新ラテン語訳聖書およびその校訂によるギリシア語訳聖書。

7
1522 年
ルターの ドイツ語訳新約聖書。

8
1525 年
ティンダ ル訳新約聖書。ギリシア語から訳された初の英訳聖書。大陸で印刷され、地下ルートで流通。
WTNT
9
1530 年
ティンダ ル訳旧約モーセ五書を含む英訳聖書。
WTT
10
1535 年
カヴァデ イル訳聖書。新約・旧約・外典を含む最初の完全な英訳聖書。新約はティンダル訳を一部単語の差し替えのみでそのまま流用。
TCB
11
1537 年
マシュー 訳聖書。ティンダルの友人であったロジャーズ(マシューという偽名を使用)がティンダル訳の新約と、逆にティンダル訳にない旧約の未訳分をカヴァデイル訳 から流用して一つにまとめて完全な聖書にしたもの。

12
1539 年
タヴァ ナーによるマシュー訳聖書の改訂版。

13
1539 年
大聖書。 (クランマー聖書、クロムウェル聖書)。イギリス国教会の礼拝用聖書。ティンダル訳を元に、一部の訳語を置き換えて、国教会で「公式に」使用できるように したもの。

14
1557 年
ホウィッ ティンガムによる、新約聖書英訳。1560年版のジュネーブ聖書に含まれる新約聖書の最初の版。今日の番号による章節分けを初めて採用。ジュネーブ新約聖 書。

15
1560 年
ジュネー ブ聖書。14の新約の校訂版に、旧約と外典を加えて完全な英訳にしたもの。カルヴァン派の代表的聖書。
TGB
16
1568 年
主教聖 書。ジュネーブ聖書と比べて不正確さが目立った大聖書の改訂版。高価で大きく使いにくいなどの理由で公認聖書とはならなかった。

17
1582 年
ランス版 新約聖書。最初のカトリックによる新約聖書のヴルガータ版からの英訳。

18
1589 年
ファルク による注釈付き新約聖書。16の主教聖書と17のランス版カトリック訳聖書を 両方を対比する形で収録し、さらに17のカトリック側の注釈にファルクの「論駁」を追加したもの。

19
1609- 10年
ドゥエ版 旧約聖書。カトリックによるヴルガータ版からの英訳。17と 19 を合わせて、ランス(ドゥエ)版聖書。(Douai Rheims Version、羽入氏論考では「リームズ・ダウエイ聖書」と表記)

20
1611 年
キング・ ジェイムズ版聖書。(欽定訳聖書)学識者を結集して、ティンダル訳やジュネーブ訳に校正を加えた当時の最高水準の英訳聖書。
KJV
21
1881- 1885年
20の改 訂版。旧約聖書外典が正式に取り除かれる。
ERV


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