羽入式疑似文献学の解剖

20061123

t-maru

 

0.はじめに

 

  本論考は、北海道大学の橋本努氏の主宰により設置された、「羽入─折原論争の展開」のホームページ上に掲載された、筆者の六本の論考を再編集したものである。[]まとめ直すにあたって、その内容を縮約し、また新たな調査結果を加えて全面的に書き直している。

  筆者は、ホームページへの投稿時(20044月〜11月)も現在(2006年秋)も一般的な会社員であり、大学その他で研究生活を行っている訳ではない。ただ、大学時代を通じて、折原浩氏のマックス・ヴェーバー関係の講義を聴講したり、ゼミに参加してきている。また、羽入辰郎氏が卒業した学科(東京大学教養学部教養学科第二ドイツの文化と社会)を羽入氏よりも3年前の1986年に卒業している。その意味で論争の両者に決して小さくない関わりがある。ただし、筆者と羽入氏は直接の面識はない。

 

  以下の論考では、羽入の「マックス・ヴェーバーの犯罪」の第1章である、「”calling” 概念をめぐる資料操作」を取り上げ、その「文献学」的な論点の正確さ・妥当性を検証している。ただし、いくつかの論点は、筆者が橋本氏のホームページに投稿した後、折原浩により、「学問の未来」(未来社)[]の中で既に再検証されているため、筆者独自の観点で補足したものと、折原とは見解が異なる点を中心に述べている。

  さて、羽入論文に対する、反応・反論としては、最初に折原が羽入論文を「没意味文献学」と位置付け、ヴェーバーの主要な論点は無視し、また問題とした箇所の意味もとらえていないから、学問的な価値に疑問があるとした。[]そのこと自体は、折原の全体の論構成の中では十分に評価できるが、その後「没意味(的)文献学」という評価自体がいわば一人歩きしている感があった。一方では「没意味」と否定的な評価を与えながら、他方では同時に羽入の唱える「(自称)文献学」を十分検証することもなく、それ自体の価値を仮にでも認めてしまっている傾向が複数の評者に見られた。たとえば、第1章に関して言えば、「ヴェーバー批判としては無意味であるが、固有の英訳聖書の研究としては意義がある、あるいはもう少しで意義あるものとなる可能性がある」という、限定的ではあっても一応肯定的な評価である。

  こうした評価には、以下のような問題点があったと筆者は考える。

     羽入自身が、あらかじめ「いわゆるヴェーバー・テーゼの歴史的妥当性を論点として扱わない」と明言しており、それを「没意味」と批判しても(そのこと自体は十分正当な立場であったとしても)、いわば直接対決を回避して自分の有利な土俵でのみ戦っているような印象を、必ずしもヴェーバーの専門家ではない第三者に与えかねない。

     また、「文献学」自体が元々「意味づけ」を問うことを主目的としてない道具的な学問であるとも考えられ、批判が的外れだと受け取られる可能性がある。

     羽入の依って立つところのように見える「(自称)文献学」をその定義・方法論、およびその正確さを確かめもせずに仮にでも受容してしまっており、その時点でいわば羽入の「詐術」にはまってしまっている。(このことは特に、山本七平賞審査委員であった、養老孟司に顕著であった。[]

     学問の細分化・専門化による、相互検証という姿勢の放棄。筆者がこの論考で行っているような検証は、アマチュアである筆者でも可能であったのであり、学問の専門家が程度の差こそあれできないはずがないということ。(ただ、博士号論文のレベルでは、この論考で取り上げるような事実確認は執筆者自身によってきちんと検証されているというのが暗黙の前提で、それをわざわざ再検証するのは相手に失礼だ、というまだアカデミズムが一定の水準を保っていた時代の儀礼的慣習が相互検証を妨げた可能性は否定できない。)

筆者は正直、今の時代においての文献学というものの位置付けがよくわからない。元々は聖書などの教典類の本来のテキストを再現しようとするもの(正文批判)であっただろう。また、19世紀ではある言語の系統を研究するために歴史的文献を研究する比較言語学という意味があったということである。またその方法論についても十分な知識を持ち合わせていない。ただ、羽入の主張する「文献学」も、「文献学の専門家というのは恐ろしいものだ」「文献学という学問の持つ恐ろしさ」といった、およそ学術的ではない素人だましの表現で語られているのがほとんどで、方法論的にはっきりしているのは「一次資料重視」ぐらいである。しかもそれすら後述するように徹底したものではない。一次資料を重んじる学問にたとえば文化人類学があり、そこではフィールドワークで収集した一次資料をどのように整理し、そこから理論を導き出すか、ということに関し、ある程度方法論が確立している。[]また、歴史学では坪井九馬三の史料分類法などもある。[]ところが羽入論考では、そうした方法論の展開はどこにも見られず、結局は「文献を正しく引用したか」あるいは「より一次資料に近いものを見たか」という、ある意味低次元の判断基準が主張されているだけである。

しかも、筆者がこの論考で明らかにしようとしているのは、そうした低いレベルの主張においてすら、羽入の論考は多くの誤りを含み、また徹底もしていないことである。すなわち文献学以前の学問の基礎についての検証である。羽入は、ヴェーバーを白から黒にひっくり返そうとしたが、今度は筆者がヴェーバーと組んで(?)羽入を白から黒にひっくり返そうとするオセロゲームを試みる。「オセロ/オテロ」といえば、まだ見ぬ羽入夫人は筆者の仲間内ではデズデモーナならぬ「マクベス夫人」と呼ばれている。はたしてバーナムの森が動いたかどうかは、最後までお読みいただいた上で判断していただきたい。

  また、本論考をまとめるもう一つの動機としては、羽入のOEDに対する不当な批判へのある種の義憤がある。羽入は次の二点で、OED(正確にはその完成途上版であるNED)に対し、誹謗中傷を加えている。

     OED1560年のジュネーブ聖書と1557年のホイッティンガムによる新約聖書(ジュネーブ新約聖書)を取り違えていると主張し、それが現在の版まで修正されていないとした。

     ヴェーバーが英訳聖書の訳語を調べるにあたり、OEDのみを参照したとし、その行為を「広辞苑のみを見て国語学の論文を書くのと同じ」とたとえた。(大辞典のOEDを中辞典の広辞苑と同列扱いした。)

 ,錯誤に基づいた見当違いで不当な批判であり、また△侶茲瓩弔韻間違いでさらにたとえ自体も不当であることは、後ほど詳述する。筆者は過去に9年間、コンピュータ用の日本語変換用辞書の開発に直接・間接に関与した経験がある。その関係で辞書一般やOEDの編集者であるマレー博士についても、相応の知識があった。OEDが無謬だなどと言うつもりは毛頭無いが、羽入の自称「文献学」に簡単に誤りだと指摘されるほどそのレベルは低くないという思いがあった。(大辞典こそいわばその言語における文献学の集大成であり、OEDは自他共に認めるその最高峰の一つである。)そして検証の結果は、まさしく羽入の根拠のない誤った批判に過ぎなかったことが判明したのである。羽入のヴェーバー攻撃は、たまたまヴェーバーを対象にしているが、羽入式論考が世間でもてはやされた結果、さらに低レベルで悪質なエピゴーネン達が多数登場し、マレー博士以外にも手当たり次第に、誠実で、かつ敬意に値する学者を、次々に不当に非難していくようになるのではないかという強い懸念を筆者は抱いた。[]

 また、直接羽入の批判の対象にはなっているわけではないが、たまたま第1章で取り上げられている英訳聖書について、それらの翻訳者達は、多くはその真摯な長期にわたる努力にも関わらず、金銭的にも名誉的にも報いられることが少なかった。ティンダルを含め何人かは、その幾重にも称賛されるべき業績に対し、「死刑」という極限の否定的評価を与えられさえしたのである。羽入が価値としては虚ろな論文をもってもてはやされた姿はいわばその対極に位置付けられよう。折原浩の「義を見てせざるは勇無きなり」という呼びかけ[]を、筆者はそのように受け止め、彼らの名誉回復のためにも、羽入によって事実を歪められた16世紀英訳聖書史を徹底して調べ直す気になった。結果的に、約2年が経過し、研究の過程で地球ほぼ一周に相当する距離を旅してまで、英訳聖書の調査に打ち込むことになった。ある意味フランクリンではないが、天啓−摂理と言えなくもない。


1:本稿のための、英訳聖書を中心とする簡単な聖書の翻訳史

 

 詳細な本論に入る前に、読者の便宜のため、英訳聖書を中心とした簡単な聖書の翻訳史を年表で示す。表中のHerbert番号とは、A.S.Herbertという研究者が1525年から1961年の間に出版された英米に現存している英訳聖書を調査して分類し、それぞれの聖書につけた参照番号のこと[]である。表中では、初版か最初の出版年のものにつけられた番号に限定して記入している。

 

番号

Herbert番号

成立(出版)年

内容

略称

1

 

紀元前3世紀

70人訳(Septuaginta)。旧約聖書のギリシア語訳。

LXX

2

 

405

「ヴルガータ」版聖書の翻訳。ヒエロニムスによる、ラテン語訳の聖書。カトリックの正式の聖書として扱われる。テキストが最終的に確定したのはずっと後の1592年。

 

3

 

1382

ウィクリフ訳第1版。ヴルガータ版からの最初の英訳。

TWT

4

 

1395

ウィクリフ訳英訳聖書の第2版。

 

5

 

1455

グーテンベルク聖書。印刷された最初のラテン語訳聖書。

 

6

 

1516

エラスムスの新ラテン語訳聖書およびその校訂によるギリシア語訳聖書。

 

7

 

1522

ルターのドイツ語訳新約聖書。

 

8

1

1525

ティンダル訳新約聖書。ギリシア語から訳された初の英訳聖書。大陸で印刷され、地下ルートで流通。

WTNT

9

4

1530

ティンダル訳旧約モーセ五書。

 

10

18

1535

カヴァデイル訳聖書。新約・旧約・外典を含む最初の完全な英訳聖書。新約はティンダル訳を一部単語の差し替えのみでそのまま流用。

TCB

11

34

1537

マシュー訳聖書。ティンダルの友人であったロジャーズ(マシューという偽名を使用)がティンダル訳の新約と、逆にティンダル訳にない旧約の未訳分をカヴァデイル訳から流用して一つにまとめて完全な聖書にしたもの。

 

12

37

1538

カヴァデイル訳新約聖書の改訂版とヴルガータ版ラテン語聖書の対訳新約聖書。

 

13

45

1539

タヴァナーによるマシュー訳聖書の改訂版。

 

14

46

1539

大聖書。(クランマー聖書、クロムウェル聖書)。イギリス国教会の礼拝用聖書。ティンダル訳を元に、一部の訳語を置き換えて、国教会で「公式に」使用できるようにしたもの。

 

15

74

1549

マシュー訳聖書の改訂版で主教Beckeによる注釈付き。”Wife-Beater's Bible”として有名。

 

16

1847

1550年頃

ジョン・チークによるマタイ福音書、マルコ1の英訳。ギリシア・ラテン語系語彙に頼らず純英語系語彙のみで訳そうとした試み。出版は1843

 

17

106

1557

ホウィッティンガムによる、新約聖書英訳。1560年版のジュネーブ聖書に含まれる新約聖書の最初の版。今日の番号による章節分けを初めて採用。ジュネーブ新約聖書。

 

18

107

1560

ジュネーブ聖書。17の新約の校訂版に、旧約と外典を加えて完全な英訳にしたもの。カルヴァン派の代表的聖書。

TGB

19

125

1568

主教聖書。ジュネーブ聖書と比べて不正確さが目立った大聖書の改訂版。高価で大きく使いにくいなどの理由で公認聖書とはならなかった。

 

20

146

1576

ジュネーブ−トムソン新約聖書。1560年のジュネーブ聖書の新約をトムソンが1565年のベザのラテン語訳を参考にして改訂したもの。

 

21

177

1582

ランス版新約聖書。最初のカトリックによる新約聖書。ヴルガータ版からの英訳。

 

22

194

1587

1560年のジュネーブ聖書の旧約と1576年のトムソン版新約の組み合わせ。

 

23

202

1589

ファルクによる注釈付き新約聖書。19の主教聖書と21のランス版カトリック訳新約聖書を両方を対比する形で収録し、さらに21のカトリック側の注釈にファルクの「論駁」を追加したもの。

 

24

248-255

1599

ジュネーブ−トムソン−ユニウス聖書。1560年のジュネーブ聖書の新約を1576年のトムソン版にし、さらにヨハネ黙示録の注釈をユニウスが改訂したもの。

 

25

300

1609-10

ドゥエ版旧約聖書。カトリックによるヴルガータ版からの英訳。2125を合わせて、ランス(ドゥエ)版聖書。(Douai Rheims Version、羽入論考では「リームズ・ダウエイ聖書」と表記)

 

26

309

1611

キング・ジェイムズ版聖書。(欽定訳聖書)学識者を結集して、ティンダル訳やジュネーブ訳に校正を加えた当時の最高水準の英訳聖書。

KJV

27

2017

1881-1885

27の改訂版。旧約聖書外典が正式に取り除かれる。

ERV


1.論点の整理

 

 最初に、羽入論考第1章の論点を整理しておきたい。それには、羽入論考の元となった博士号論文の「『倫理』論文におけるウェーバーの資料の取り扱い方について」の論文要旨をそのまま使わせていただくこととする。厳密に言えば、この博士号論文と羽入論考は完全に同じものではない。しかしながら、博士号論文の論文要旨を見る限りは、論旨においては、少なくとも第1章に関しては大筋同じと筆者は判断した。論文要旨の第1章相当分は以下の通りである。

(i)ヴェーバーは英国におけるピューリタン的な"calling"概念の起源を論ずるに当たって度々英訳聖書に言及したが、実際には彼は英訳聖書を手に取って見てはおらず、その殆ど全てをOED"calling"の項の記載に依拠していたこと、そのことは彼がOEDの単純な誤りを-それは聖書のタイトル頁を見さえすれば避け得たような単純な誤りである-そのままに引き継いでしまっていることから論証し得ること、OEDに記載されていた「コリントI7:20の用例のみに依拠せざる得なかった彼の立論は、「ベン・シラの知恵」11:20,21における"Beruf"という訳語こそが、ルターが創始した"Beruf"という語の、新たな用法なのであり、そしてその語こそがプロテスタント諸国のそれぞれの国語に影響を与えたのである、との元来の彼の主張を論理的に破綻させるものとなってしまったこと。」[10]

 論旨でありながら、明解とはとても言い難い文章と感じるが、敢えて筆者なりに論点を箇条書きにまとめ直すと、以下のようになろう。

·    ヴェーバーはcalling概念の起源を論じる際に、実際は英訳聖書を直接参照しなかった。(論点1

·    OEDに単純な誤りがある。(論点2

·    ヴェーバーはOEDのその誤りをそのまま引き継いでいることから判断して、ほとんどOEDのみを参照している。(論点3

·    ヴェーバーの立論は、ただOEDのコリントI 7.20の用例のみに依拠せざるを得なかった。(論点4

·    「ベン・シラの知恵」11:20,21における"Beruf"という訳語こそが、ルターが創始した"Beruf"という語の、新たな用法である。(論点5

·    同上の訳語が、プロテスタント諸国のそれぞれの国語に影響を与えてBeruf相当語を成立させるというヴェーバーの立論は、(「ベン・シラの知恵」11:20,21が英訳では”calling”と訳されていないことから)破綻する。(論点6

 上記の論点以外に、書籍版の羽入論考では次の2つの論点も見出すことができる。

·    ヴェーバーは「エリザベス朝における宮廷聖書」でコリントI 7.20の訳が”vocation”に戻っているとするが、それがどの英訳聖書なのか明らかではない。また、もしそれがジュネーブ聖書のことを指しているなら、カルヴィニズムの聖書を「イギリス国教会の宮廷聖書」と呼ぶのはナンセンスである。(論点7

·    OED”calling”の説明で、「世俗職業」の意味で挙げられている用例は、「職業」ではなく「地位」の用例だから、ヴェーバーの説明は成り立たない。(論点8

 

 以下の反論においては、上記の論点1〜論点3、論点7について論ずる。論点4〜論点6については、折原の「ヴェーバー学のすすめ」[11]で詳細かつ正確に反論されていて、それ以上付け加えることはないと筆者は判断するので、必要に応じてそちらを参照いただきたい。(なお論点5はヴェーバーの主張そのものであり、それ単体では間違いではない。論点46の全体の論理構成に問題がある。)また、論点8については、筆者が橋本氏HPで発表した論考「『羽入氏論考』第 1章『"calling"概念をめぐる資料操作』の批判的検証」(http://shochian.com/hanyu_hihan02.htm)の中の「4. OED"calling"説明の解釈について」を参照。(ここで簡単にその内容を紹介すれば、OED{のマレー博士}が「職業」と「地位」の意味については、意味の境界が流動的であるため、連続した意味項目として配置し、また「この2つの意味はしばしば同じように語源づけられる」、と明記しているのを見落としたかあるいは意図的に無視した暴論に過ぎないということである。)         

 

 

 

2.ジュネーブ聖書について

 

 まず、最初に指摘しておくべきなのは、羽入論考第1章における、ジュネーブ聖書の解釈、位置付けの間違いである。(論点2、論点3

 「ジュネーブ聖書」[12]とは、イングランドからスイスのジュネーブに亡命していたカルヴァン派プロテスタントにより英訳された聖書に与えられた通称である。その翻訳はそれまでのティンダル訳、カヴァデイル訳、または大聖書の英訳に比べ正確さが向上していることで高く評価された。また初めてゴシック体(Black letter)ではなくローマン体の活字を用いて読みやすくしたり、また今日の聖書では一般的な「コリント 7.20」のような番号による章節分けを英訳聖書で初めて行ったものでもあった。(章節分け自体を最初に行ったのはエチエンヌの1551年のギリシア語新約テキストである。)さらには、欄外に注釈が多数付加され、その中にカトリックの教義を批判する過激なものも含まれていることでも有名だった。

この「ジュネーブ聖書(英語版[13])」の成立については、たとえばブリタニカ百科事典に” also called Breeches Bible new translation of the Bible published in Geneva (New Testament, 1557; Old Testament, 1560)(以下引用略)とあるように[14]、新約聖書の部分がまず1557年にカルヴァンの姻戚であったホイッティンガムらによって翻訳・出版され(表の17)、その後旧約聖書の翻訳が続き、1560年に両方を併せて一冊の聖書として出版されている。(表の18)その際に、57年版の新約聖書は多少の校訂が加えられた上で60年版にまとめられる。ここで注意事項として、一般的に英語で”Bible”と呼称する場合は、新約と旧約の一揃いを指す。日本語では「新約聖書」「旧約聖書」と「聖書」をつけるのが一般的だが、英語ではそれぞれ単体で出版される場合は、”New Testament””Old Testament”であって、”Bible”とは称さない。

 羽入は、「『ジュネーブ聖書』は一五六〇年に初めてこの世に現れたからである。つまり一五六〇年が『ジュネーブ聖書』の初版年なのである。ヴェーバーの言う「一五五七年の『ジュネーブ聖書』など有り得ない。」と断言している。そして、この「誤り」が元々OEDの間違いであると主張し(論点2)、ヴェーバーがOEDだけを見て現物のジュネーブ聖書を見なかったから、このOEDの間違いをそのまま引き継いだ、とする。(論点3

 指摘部分の羽入による日本語訳では「一五五七年のジュネーブ聖書も同様であった。」(傍点は筆者)である。ところが、先行の日本語訳である梶山・安藤訳[15]では「一五五七年のジュネバ」、大塚改訳版(岩波文庫一冊版)[16]では、「一五五七年のジュネーブ」と訳されていて「ジュネーブ聖書」とはなっていない。(岩波文庫の旧版である梶山・大塚訳[17]はこの部分を日本語訳していない。)ヴェーバーの原文はどうかと言うと、”ebenso wie Geneva von 1557.”となっており、”Geneva Bibel von 1557”とはしていない。羽入はそれぞれの日本語訳の該当頁を細々と挙げながら、これらの正確な日本語訳およびヴェーバーの原文を無視し、勝手に「一五五七年のジュネーブ聖書」という不適切な訳にすり替え、それがあたかもヴェーバーの間違いであるかのように見せかけている。ついでに言えば、1560年版ジュネーブ聖書の出版部数は一説ではわずか160部とされており[18]1557年の新約が非常に限定的な出版で、60年版で初めて大々的な「初版」になった、と解釈するのは無理があろう。どちらも当初は当時のジュネーブのカルヴァン派の中で英語を母語とする亡命者(最盛期で800名ほどいたが、1558年にメアリ1世が死んでからイングランドへの帰国が始まり数は減っていた[19])に配布するような、いわば同人誌的なものに過ぎなかったと推定される。

 羽入論考の参照文献にある永嶋大典の「英訳聖書の歴史」[20]は、「ウィティンガム訳1557年新約は、ベーザのラテン語訳を参照したとはいうものの、実質的には『マシュー訳』と『大聖書』を融合させたもので、のちに述べる『ジュネーブ聖書』の準備段階にすぎない。」と記述している。羽入が1557年新約をジュネーブ聖書ではない、とするのはこの本の記述をそのまま鵜呑みにした可能性が高い。(羽入論考の英訳聖書関係の各種固有名詞の表記はこの永嶋本のまま{たとえば「ウィティンガム」「リームズ・ダウエイ聖書」、ただし永嶋本では「リームズ = ダウエイ聖書」、一般的には「ランス・ドゥエ聖書」}であり、その影響が窺われる。)筆者はこの永嶋の「ジュネーブ新約聖書」の説明には、同意できない。たとえば田川建三はジュネーブ聖書全体の性格について、「ほとんどティンダル版の改訂に近い」としている。[21]マシュー訳は新約に関してはティンダル訳そのものであり、大聖書はそのマシュー訳にカヴァデイルが手を加えたものであることを考えれば、田川の説明の方が筆者には素直に納得できる。ティンダルの伝記を書いている David Daniell によれば[22]、ジュネーブ聖書の旧約は確かに大聖書をベースにしたとされているが、新約についてそういう記述は見いだせない。Daniell は「1557年のジュネーブ新約聖書は、大聖書と際だった対照をなし、かつはるかに先へ進んだものである。」としている。[23]また冒頭に挙げたようなジュネーブ聖書の特徴とされるものも、すべてこのジュネーブ新約聖書で既に実現されており、「準備段階にすぎない」と言った評価は妥当とは思われない。ジュネーブ聖書の1557年版と1560年版の位置付けについては、永嶋の記述の方が特殊で、60年版新約は57年版の校訂版として評価する方が一般的と思われる。羽入がきちんと幅広い研究文献にあたっていれば、このような永嶋のある意味偏った記述に影響され判断を間違えることはなかったはずである。

 同じく、OED”calling”の項での引用も、”1557 Geneva  としており、”1557 Geneva Bible”とはしていない。なお、OEDには第20巻目に文献表が付属している。(CD-ROM[24]ではHELP中にある。)”New Testament”の項では、

New Testament versions

       See also Bible

       Tindale 1526, 1534

       Geneva 1557

       Rhemes 1582

となっており、正しく1557年版のジュネーブ「新約」聖書を参照していることが示されている。これに対し、”Bible”の項では”Geneva 1560”となっている。両者がきちんと区別されていることは、誰の目にも明らかであり、そこに何らの誤りもない。(この章の冒頭で引用したブリタニカ百科事典も同様である。羽入はまさかOEDもブリタニカも間違っていると主張するのであろうか。)こうして羽入の論点2は崩壊する。同時に、「誤った箇所をそのまま引き継いでいるから、OEDのみを参照した」という論点3も崩壊する。(ちなみに、この論点3は元々無理がある。ある資料の誤りを引き継いだからといって、その資料しか見ていないという証明にはなりえないからである。羽入が永嶋本のある意味誤った記述を引き継いだ、と筆者は推定したが、そのことが羽入が永嶋本しか見ていない、という証明にならないのと同じである。)

 このジュネーブ聖書をめぐる羽入の誤りで、羽入の自称「文献学」の実態(やり口)があまりにも象徴的に明らかになっている。

原文のドイツ語を十分理解せずに、勝手に「一五五七年のジュネーブ聖書」という不適切な日本語訳を作り、それを根拠にしてヴェーバーが誤っていると決めつけている。

先人の日本語訳についても、そこで「ジュネバ」「ジュネーブ」と訳されていることを無視したか気づいていない。またそれらの文献情報は細々と記載するが、それらの訳は引用せず自分の誤訳だけを記載している。(結果的に読者は、先人も「ジュネーブ聖書」と訳しているかのように勘違いさせられる。)

OEDの文献表をまったく参照していない。それでいてOEDの文献情報が誤っていて現在の版でも訂正されていないと決めつけている。

日本人が書いた英訳聖書の解説本の記述をほぼそのまま鵜呑みにしている傾向が見られ、他の資料で裏を取る、といった慎重な態度が見られない。

 結論として、論点2の「OEDに単純な誤りがある。」は、羽入の誤解であり、文献表という最低限の資料確認すら怠った言いがかりに過ぎない。結局のところ、ヴェーバーが詐欺師だ犯罪者だという強迫的固定観念に縛られて、ヴェーバーが間違っていると思われる材料を発見すると、そこで判断が停止してしまい、冷静に事実を見ることができないのであろう。筆者はこの程度のものを「文献学」と自称し、その立場でヴェーバーやOEDを批判することは牽強付会の極み、「蟷螂の斧」であると判断する。少なくとも「厳密に解読」「厳密な照合」という羽入の自己評価については、筆者は手前味噌以外の何物でもないと判断する。このような杜撰さを自覚・自省することもなく、ヴェーバーやさらにはOEDまで間違っていると断言してしまう羽入に対し、「文献学」以前の問題として、研究者・博士としての「鼎の軽重」を問わざるを得ない。

 

 

3.ヴェーバーがOEDを参照したことの意義と評価

 

 羽入は、ヴェーバーが「ジュネーブ聖書」の実物のタイトル頁を一度も目にしたことがなかった、としている。(論点1)そして、(ヴェーバーの当時)「図書館に行けばこんなポピュラーな英訳聖書はどこにでもそろっていたであろう」と事実を確認することなく決めつけている。羽入論考の文献表では、多数の英訳聖書の名前が挙げられているが、それが出版されたそのままの現物であるのか、または本物そっくりに復刻されたファクシミリ版であるのかを大半のものは明らかにしていない。おそらくはかなりの部分、ファクシミリ版が含まれていると筆者は推定する。(ファクシミリ版はテキスト情報はほぼそのまま伝えるであろうが、現物が持っていた他の情報{たとえば後述する外箱や製本のレベルなど}を削ぎ落としてしまう。また各種の版の中からどれをファクシミリ版にするか、出版社側の思惑も働きやすい。従って、文献表では現物とファクシミリ版の区別を「文献学」ならば、きちんと書くべきであろう。)

 たとえば一番問題になっている1557年と1560年のジュネーブ聖書については、前述したように、出版部数はきわめて限られており、稀覯本中の稀覯本である。(特に1557年版)筆者はインターネットの古書販売サイト[25]を調べて、現存する本物のジュネーブ聖書の流通価格を調べてみた。後述する、かなりの部数(海賊版も含めればおそらく十万部単位)が出版されたChristopher Barker出版のものでも、十万〜数十万円の価格であった。[26]1557年版や1560年版は古書市場に出ていなかったし、一体どのくらいの値段が付くのか想像もできない。これに対し、ファクシミリ版では1560年版でも大体23万円程度だった。[27]なお、ファクシミリ版というのは、オリジナルの各頁を写真に撮り、それを元にオフセット印刷の版を作成し(あるいは近年ではDTP技術で)、新たに本物に似せて印刷し直したレプリカである。このオフセット印刷自体の発明が1903年から1904年にかけてなので[28]、当然のことながら、ヴェーバーが「倫理」論文を執筆していた時にはファクシミリ版は存在していない。(他の方法による復刻版が存在していた可能性は否定しないが、いずれにせよ今日のファクシミリ版のように一般的に入手できるものはほとんどなかったと推定する。)

 筆者は、20049月に、ハイデルベルク大学の図書館を訪問し、その蔵書量と英訳聖書の所蔵について調査を行っている。ハイデルベルク大学のヴェーバーの論文執筆の頃である1900年と2004年時点での蔵書量の比較をすると、

 

 

1900

2004

大学図書館

50,000

3,500,000

各研究所

不明

3,500,000

 

ということであった。[29]ヴェーバーの当時、図書館の蔵書数は今日のわずかに1 / 70に過ぎないことを理解する必要がある。また、英訳聖書の所蔵についても、2004年時点での蔵書数350万冊を誇るハイデルベルク大学図書館でも、次に挙げるわずか11冊に過ぎなかった。

 

 1. Coverdale 聖書1535年のファクシミリ版 1975年出版

 2. Geneva 聖書1560年のファクシミリ版 1969年出版

 3. 1599London Christph. Bakrer版英訳聖書、四つ折り版16598月、同出版社再版

 4. 欽定訳聖書1611年版 1903年ロンドン出版

 5. 英訳聖書 ロンドン1659John Field and Henry Hills出版

 6. 聖書(おそらく欽定訳)1612年、The Book of common prayer 1611年ロンドン、Rob. Parker出版(Robert Barker の間違いと思われる。)

 7. 英訳聖書、1717年オックスフォード

 8. 英訳聖書、1746年ライプチヒ

 9. 英訳聖書、1804年ロンドン(ケンブリッジ1804年、ロンドン1814年)

10. 英訳聖書、欽定訳、1823年ケンブリッジ

11. 英訳聖書、1855年ニューヨーク

 

これらの中で、元々16世紀に出版されたものは、123のわずか3種に過ぎない。しかも12は前述したファクシミリ版である。3はオリジナルのようだが、それでも1659年の再版である。つまり、16世紀の英訳聖書のオリジナルは、今日のハイデルベルク大学図書館ですら一冊も所蔵していないのである。このように、1557年と1560年のジュネーブ聖書の(ファクシミリ版ではない)現物を見ることは、今日でも簡単なことではなく、ましてやヴェーバー当時にそれを行うことは至難の業であったことが確認できる。(筆者は、20066月に、アメリカのロサンゼルスのUniversity Cathedral内にある、”Dr. Gene Scott Bible Collection” [30]{ペンタコステ派の人気のあるTV説教師であった故Gene Scott博士[31]が収集した、世界最大規模の聖書コレクション}を閲覧し、両方とも現物を見ている。ただしガラスケースの外から外観を眺めただけで、手にとって中身を確認できたわけではない。[32]

 以上の調査結果により、羽入が主張する「簡単に参照できた英訳聖書の現物を見ないで、OEDだけを見て論文を書いた」という論点13が、脚色に満ちた不当なものであることが確認できた。ちなみに、それでもなお、ヴェーバーが16世紀の英訳聖書の現物のいくつかを見ている可能性は高いのであるが、それについては次章で詳述したい。本章では、「OED参照」の意義と評価を再確認したい。すなわち論点3の別の面からの評価である。仮に「ヴェーバーが(ほとんど)OEDしか参照しなかった」としても、そのどこが問題なのか、ということである。

 ヴェーバーのOED参照を意義づけるためには、

1OEDNED)という辞書の性格、編集方針、成立事情

2)編集主幹であり、ヴェーバーも直接名前を挙げているマレー博士の人柄、学問的背景

をある程度知っておくことが不可欠だろう。

 まず、OEDはヴェーバーの当時は”New English Dictionary”として、1857年にプロジェクトが始まって以来多年の編集作業を経て、1896年にようやく”c”の項の第三分冊までが出版されていた。[33]この新しい辞書の大きな特徴を2つ挙げれば、一つは英語の文献に現れた「すべての語」を網羅しようとしたこと(現在の版で約60万語)、もう一つは「歴史的原理」に基づいて編集されている、ということである。この「歴史的原理」とは、ある言葉の誕生から現在の姿まで、あるいは死語となるまでを、徹底した用例収集によって意味、意味の分類、正書法(綴り)そして発音まで含め、その変遷を探ろうとしたことである。語義の説明には、編集当時既に廃れてしまった意味までが含まれており、まさしくすべての単語の「履歴書」を作成することを目指したのである。こうした方針は、それまでの英語辞書の編集者による恣意的な意味解釈・意味分類、根拠に乏しい勝手な語源解釈などと一線を画しており、19世紀に盛んになった比較言語学の成果を採り入れている。また直接にグリム兄弟によるドイツ語辞典(これも完成したのは実に1961年で、当時は分冊だけが出版されていた)の影響を受けている。

 このための用例収集、つまりある単語が使用されている文献(今日の用語で言えば、コーパス Corpus)の収集は、一般ボランティア89人の協力により、個人で行うことはまず不可能なレベルで徹底して行われた。このことがまさしくOEDの根幹を成している。1911年時点でのマレー博士の計算によれば、それまでに集められた引用文は実に500万から600万に達しており、その中から125万ほどが実際に辞書に使用されたとしている。(現在の完成版では約250万)これほどまでの規模の用例収集は、それまでの辞書または言語学研究でも、少なくとも英語圏においては一度も行われたことがないのは明らかである。さらに付記すれば、用例のための文献収集は時代を三つに区切って行われたが、その二番目の時代は1526年から1674年までとなっており、その意味はティンダルの英訳聖書が登場してから、「失楽園」のミルトンが亡くなった年まで、ということになる。つまり、英訳聖書はOEDにとって非常に重要な用例収集源であったということである。たとえば、英訳聖書の中では旧約を除けば比較的重要ではないと思われる1535年カヴァデイル聖書について、現在のOEDではあるが、そこからの用例引用はなんと2,500箇所以上にも及んでいる。[34]16世紀の英訳聖書は、英語の正書法の確立、という意味でも大きな意義をもっており、このことからもOEDにとっては英訳聖書は不可欠な文献リソースと言えよう。

 次に、編集主幹であったジェイムズ・マレー博士を簡単に紹介してみたい。マレー博士は1837年生まれで、大学で学んではいないが独学で非常に数多い言語と言語学理論の学習・研究を進めた。博士の言語の知識については、博士が30歳の時に大英博物館に提出した就職希望の手紙によれば、「アーリア語族およびシリア・アラビア語族の言語と文学に通じ、(中略)ロマンス諸語のうち、イタリア語、フランス語、カタロニア語、スペイン語、ラテン語には詳しく、そこまではいかないものの、ポルトガル語やヴォー州方言、プロヴァンス語、その他さまざまな方言の知識もあります。 (中略、以下身につけた言語)オランダ語、ドイツ語、フランス語、フラマン語、デンマーク語、古英語、モエシアゴート語、ケルト語、ロシア語、ペルシア語、サンスクリット、ヘブライ語、シリア語、アラビア語、コプト語、フェニキア語…」という恐るべきものだった。また、博士は会衆派=カルヴァン派ピューリタンの流れを汲む教派、の熱心な信徒であって、OED編集の仕事を、「私が受けたすべての訓練は、神が私に辞書の仕事をさせるために、私に与えたものなのだ。」ととらえていた。企業家でこそないもの、まさしくヴェーバーがカルヴィニスト平信徒の一つの理念型として取り上げてもおかしくないような人物と言えよう。また、博士は新しい言語を学ぶ時、まずその言語で書かれた聖書を手に取ったそうであり、英訳聖書は、博士に取っておそらくもっとも重要な文献資料だったであろう。これは筆者の想像に過ぎないが、”calling”の項は、博士にとっても、まさに思い入れの深いものだったのではないだろうか。羽入は、ヴェーバーが現物の英訳聖書を見ていない、としながら、一方でジュネーブ聖書の1557年新約と1560年聖書の表紙が似ているから間違えやすい、という矛盾した主張をしている。これがもしヴェーバーのことではなくてマレー博士のことを言っているのであれば、ここに挙げたような博士の人間像とその学識の深さ、および会衆派信徒ということからして、そのようなことがあり得るはずがないのは、誰の目にも明らかであろう。(大半が会衆派であったPilgrim Fathersがメイフラワー号でアメリカに渡った時に、一緒に持っていった聖書は羽入が紹介しているように、ジュネーブ聖書ベースのものである。)

 実際に、OED”calling”の項、この項は最初にマレー博士が編集したものとほとんど変わっていないと思われるが(これに対し対になる”vocation”の項については、この語が編集された時は既に博士は世を去っていたので、博士の手によるものではなかろう)、その記述の量は、筆者が手持ちのCD-ROM版を印刷した場合、実にA43頁半、約134行にも及んでいる。まさしく一編の小論文である。(お手元にある英和辞典で”calling”の説明が何行あるか、比べてみていただきたい。[35])羽入は、「広辞苑の用例だけに依拠して、ある語とある語の影響関係を論じ、それを論文にまで仰々しく書く国語学者が我が国にいるであろうか。いるとすればそんなものは国語学者ではない。」というたとえをもって、ヴェーバーのOED準拠を批判する。この批判は何と不当にOEDの姿を歪めており、かつヴェーバーを根拠もなく貶めていることだろうか。[36]羽入はOEDの記述にミスがあって、故に現物の英訳聖書を見るべきだ、と主張するが(論点2)、これも前述したように、羽入の言いがかりである。また、もし羽入がその主張するところである、一次資料主義を徹底するのであれば、つまりOEDの記載が信用できないから、再確認したいというのであれば(それはそれで一つの研究態度としてはあり得るだろうが[37])、OEDが引用している英訳聖書以外の文献、たとえばWilliam Bonde”Pylgrimage of Perfection”1526年、1531年)[38]Robert Recorde”The Pathway to Knowledge”1551年)[39]なども参照すべきであろう。何故ならば、ヴェーバーの倫理論文においては、英訳聖書の記述だけでなく、それが聖書以外の宗教的文献やあるいは宗教と無関係の文献でどう使用されたかも重要だからである。それはこの単語の特殊な意味が聖書翻訳から生まれ、どのように一般的な意味として波及していくかという過程を確認することになる。(もっともOEDに文献表が付いていることすら気がついていない羽入にそこまで期待しても無駄であろうが。)羽入式「文献学」が、皮相な批判の「ためにする」ものであることは、ここでも確認できよう。

 この章での結論として、すなわち論点3の別の面からの評価として、筆者はヴェーバーのNED参照を、”calling”という英単語の意味変遷を調査する目的において、最善かつ最強の文献を参照していると評価する。もしそれを批判するなら、NED以上の文献資料が当時存在していてかつそれが入手容易であったことを批判者は示すべきであると考えるが、筆者にはそのようなものが存在するとはまず思えない。ヴェーバーが仮にNEDを参照していなかったら、そちらの方が批判されるべきであるが、ヴェーバーはOEDの名声が確立する前である、cの項である第三巻までが1897年までに先行して販売されただけの段階で、適切にこれを参照していることを、筆者は高く評価する。(マレー博士が私淑していた言語学者のヘンリー・スウィートは、元々ハイデルベルク大学でその当時のドイツの最先端の言語学を学んでいる。[40]そうしたつながりで、マレー博士のNEDの偉業はハイデルベルクにも名声が届いていたのかもしれない。)


4.コリント 7.20”vocation”と訳したもう一つの聖書について

 

 最後に取り上げるのは、論点7

ヴェーバーは「エリザベス朝における宮廷聖書」でコリントI 7.20の訳が”vocation”に戻っているとするが、それがどの英訳聖書なのか明らかではない。また、もしそれがジュネーブ聖書のことを指しているなら、カルヴィニズムの聖書を「イギリス国教会の宮廷聖書」と呼ぶのはナンセンスである。

である。ヴェーバーはこう書いている。”Die offizielle Cranmersche Übersetzung von 1539 ersetzte state durch calling, während die (katholische) Rheimser Bibel von 1582 ebenso wie die höfischen anglikanischen Bibeln der elisabethanischen Zeit charakteristischerweise wieder zu vocation in Anlehnung an die Vulgata zurückkehren.”大塚久雄の改訳(岩波文庫一冊版)では、この部分は、「一五三九年のクランマー(Cranmer)の公認訳では》state《を》calling《に置きかえたのに、一五八二年の(カトリックの)ランス聖書も、エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書も、再び公認ラテン語聖書にならってvocationに帰っているのは注目に値しよう。」と日本語訳している。

 このコリント7.20については、OEDcallingの項の、10番(”Position, estate, or station in life; rank.”)の引用リストに、[1382 Wyclif 1 Cor. vii. 20 Eche man in what clepynge he is cleped, in that dwelle he; [1534 Tindale, in the same state wherein he was called; 1539 Cranmer and 1611, in the same callinge, wherin he was called; 1557 Geneva, in the same state wherin he was called; 1582 Rhem., in the vocation that he vvas called.]]とあるのを、ヴェーバーが参照しているのは、まず疑いを差し挟みようのないところである。ただし、ebenso wie die höfischen anglikanischen Bibeln der elisabethanischen Zeitの部分、つまり大塚改訳では「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」の部分のみが、OEDにはまったく見あたらない。では、これが何を指しているか、という問題が残る。(この問題の解明がOEDだけを参照したという論点3への反証にもなる。)

 この謎の英訳聖書探しの検討に入る前に、このコリント7.20の訳語の問題を整理しておくことが有益であろう。すなわちstate, vocation, あるいはcallingかという問題である。参考までに、今日日本で入手可能な日本語訳聖書がここをどのような単語で訳しているかというと、[41]

       新共同訳                                        「身分」

       共同訳                                        「身分」

       口語訳                                          「状態」

       文語訳                                          「状」(さま)

       フランシスコ会訳(カトリック)        「境遇」

       新改訳(福音主義)                           「状態」

となっており、「天職」「職業」「生業(なりわい)」といった訳語は皆無である。他の言語でも、学術的な監修のしっかりした現代の聖書では、概ね「身分」「状態」に近い意味で訳しているようである。[42]ルターがこの部分を世俗職業の意味までに踏み込んで新たに解釈したのは、今日ではルターの神学的な誤解、行き過ぎという評価がある。[43](羽入論考第二章の問題になるが、筆者はルターが生前この部分を”Ruf””ruff”と訳し、”Beruf”とは訳していなかった事実を重大視しない。どの語形にせよ、「呼ぶ」という動詞からの派生語のバリエーションに過ぎない。「呼ぶ」という原義からさらにどのような意味を新しく付加したのかが問題なのであり、語形のわずかな違いの問題ではないと解する。[44])そういう意味では、ティンダルがルターの圧倒的な影響下にありながら、最初の完全な英訳新約聖書として”state”とルター訳と違った「意訳」をしているのは興味深い。

 この部分は Textus Receptus (多くの16-17世紀の英訳聖書の翻訳のベースとなったエラスムスによるギリシア語新約聖書テキスト)[45]では、εκαστος εν τη κλησει η εκληθη εν ταυτη μενετω.である。ヴルガータのラテン語訳では[46]”Unusquisque, in qua vocatione vocatus est, in ea permaneat.”である。ギリシア語も(筆者はギリシア語については非常に不十分な知識しか持っていないが)ラテン語も、どちらも日本語に敢えて訳せば「そこに向かって呼ばれた、その『呼ばれた(過去分詞)こと、状態』そのものの中に留まりなさい」ということになるのであろう。これがヴェーバーも指摘している「ヘブライズム」、つまり新約聖書がギリシア語で書かれていながら、その言い回しに強くヘブライ語(アラム語)風の言い回しが現れる例なのであろう。このヘブライズムについては、Meyers Konversationslexikonという1888年のドイツの古い辞書に説明がある。[47]その一部を引用すると、

“formen, Perfektum und Imperfektum; dann einen Imperativ, Infinitiv und ein Partizipium, durch welche wie auch durch Umschreibung alle Formen gebildet werden. Das Nomen (mit zweifachem Geschlecht) ist meistens vom Verbum abzuleiten und wird durch Prafixe und Suffixe,”.

(筆者による日本語訳)

「語形態、完了形、未完了形、そして命令法、不定法、分詞、それらによって、また語の形態変化によってすべての(変化)形態が形成されること。名詞(2つの性を持つ)は、多くの場合、動詞より派生し、それも前綴りや後綴りをつけることで作られ、(以下略)」

ということになる。このコリント7.20では、「(神が)呼ぶ」−「呼ばれたこと、状態」という構図において、後者の単語に前者の動詞から派生した過去分詞ないしは名詞が使われる、ということになろう。(ヘブライ語では子音三つを組み合わせた語根をショレシュと呼び、この語根から多数の単語が派生するそうである。[48]ヴェーバーがヘブライ語での「職業」を意味する単語について考察しているところで挙げているlkhmelakhaがまさにその例であろう。)または、英訳聖書で”to live a life”のような「同族目的語」を使った表現も典型的なヘブライズムとされるが[49]、ここでの表現はそれを関係代名詞と受動態で裏返したようにも見える。(念のため、筆者のヘブライ語の知識は、入門書を数冊[50]ざっと眺めた程度である。この部分については、専門家のアドバイスを仰ぎたい。)

 英語はドイツ語に比べて造語力が弱く、フランス語やラテン語から多くの語彙を借用しているのは周知の事実である。この場合、たとえば”calledness”のような単語の生成が可能であれば、”in the same calledness wherein he was called”とヘブライズムをそのまま英訳することができる。ところがそういう単語は存在せず、造語するにも違和感が強かったのかもしれない。従って、英訳者として選択できるのは、

1calledness ではなく、存在する現在分詞形のclepynge, callingを使って、ヘブライズムの雰囲気をあくまで残す。

2)ヘブライズム的な単語の照応関係は崩れるが、「呼ぶ」という意味はラテン語の知識がある者なら容易に推定できる、ラテン語またはフランス語から英語に入った派生語”vocation”を用いる。

3)ヘブライズムの再現よりも、読者が読んでその意味を正しく理解できるよう、意訳して”state””condition”を用いる。

3つのどれかになろう。

 ”vocation””calling”は、しばしば(同義語として)併記して使われたようで、OED”vocation”の項に、前述のWilliam Bonde”Pylgrimage of Perfection”1526年、1531年)からの引用として、”That vnspekable mercy that thou shewed in theyr vocacyon or callynge.”が挙げられている。この2つの単語の関係は、”vocation”だと「聖職者への召命」となり、”calling”だとより「世俗職業」に近い意味になる、と言った単純なものではないだろう。欽定訳で最終的に”calling”が採用され、それである意味決定版になるのは、より本来の英語系の語彙への好みというよりは、学者中心の翻訳者達が、ヘブライズムの忠実な反映を重視したということではないだろうか。(”call”も源流をたどればギリシア語の καλεω=呼ぶ、に行き着くのかもしれない。たとえば”calendar”はラテン語から英語に入った単語だが、その語源として「呼ぶ」という意味が入っており、これは元はギリシア語から来たのではないかと推定できる。{月の始めに大声で呼ばわる、というのがcalendarの語源らしい。}OEDでは”call”の語源を北方ゲルマン系から古チュートン語までたどっているが、それ以上は遡及していない。)

 ジュネーブ聖書についていえば、1557年の新約聖書において”state”が採用されているのは、ベースとしたティンダル訳をそのまま採用したということだろう。それが1560年版では”vocation”に改訂されるが、このことの理由は、はっきりしたことは何もわからない。ただ、1560年版全体で必ずしも統一して”vocation”を採用しているわけではない。このことは1582年のカトリックのランス新約聖書でも同様であり、比較してみると興味深い。たとえば、(以下、1560年版ジュネーブ聖書、1582年版ランス新約聖書、Vulgata、た袈ζ洩日本語訳の順、イタリック、ボールドは筆者による)[51]

 

Romans 11:29 

For the giftes and calling of God are without repentance.

For the gifts and the calling of God are without repentance.

sine paenitentia enim sunt dona et vocatio Dei!

た世了鯤と招きとは取り消されないものなのです。

 

1 Corinthians 1:26 

For brethren, you se your calling, how that not manie wise men after the flesh, not manie mightie, not manie noble are

called. (”are called”は原文からイタリックで英訳時に補われたことを示す。)

For see your vocation, brethren, that there are not many wise according to the flesh, not many mighty, not many noble:

Videte enim vocationem vestram, fraters, quia non multi sapientes secundum carnem, non multi potentes, non multi nobiles;

し残錣燭繊△△覆燭たが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。

 

Ephesians 1:18

That y eyes of your vnderstanding may be lightened, that ye may knowe what the hope is of his calling, and what the riches of his glorious inheritance is in the Saints,  ”is”は原文からイタリック)

The eyes of your heart enlightened, that you may know what the hope is of the glory of his inheritance in the saints.(該当語なし)

illuminatos oculos cordis vestri, ut sciatis quae sit spes vocationis eius, quae divitiae gloriae hereditatis eius in sanctis

た瓦量椶魍いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

 

2 Peter 1:10 

Wherefore, brethren, giue rather diligece to make your calling and election sure: for if ye do these things, ye shall neuer fall.

Wherefore, brethren, labour the more, that by good works you may make sure your calling and election. For doing these things, you shall not sin at any time.

Quapropter, fratres, magis satagite, ut firmam vestram vocationem et electionem faciatis. Haec enim facientes non offendetis aliquando;

い世ら兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません。

 

などのように、”vocation”と訳しても問題ないような箇所でもジュネーブ聖書では、”calling”が採用されていたりする。同じコリント気1.26ですら、”vocation”が使われず”calling”になっている。また、カトリックのランス新約聖書でもやはりこの2つの語の間で揺れていて必ずしも”vocation”をより好んで使っている訳ではないことが確認できる。以上のテキスト調査から判断すれば、それまでの聖書英訳に比べれば「学術的」と評価されるジュネーブ聖書でも、全体の訳語の統一ということに関してはあまり注力されていない、ということである。(おそらくは複数の改訂者の共同作業だったのだろう。)従って、我々はコリント7.20がたまたま”vocation”に改訳されているからと言って、そこにカルヴァン派の何か神学的な意味づけを見ようとするのは行き過ぎであると考えるべきだろう。ヴェーバーが、「カルヴァン派は当初から『天職』概念を強調していたわけではない」と指摘しているのは、今回の調査結果とも合致している。

 準備のための議論が非常に長くなったが、「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」の同定作業に戻ろう。エリザベス1世の治世は1558年から1603年になる。筆者は橋本氏のHPへの寄稿において、この謎の聖書について三つの仮説を以下の順で提示してきた。

 

1)ウィリアム・ファルクによる注釈(反駁)付き新約聖書(1589年、年表では23Herbert番号では202番、なお改訂版が1601年に出ていてこちらのHerbert番号は265266番)[52]

2)ロンドンの印刷商であった、Christopher Barker1575年に、Juggeという他の印刷商に宛てて出した感謝状の中で言及されている、「ラテン語から翻訳した英訳新約聖書」

3)同じくChristopher Barkerが、ジュネーブ聖書とその改訂版をベースに出版した各種の英訳聖書

 

 まず、(1)は、プロテスタントのウィリアム・ファルクが、カトリックのランス聖書と主教訳聖書の両方を対比させる形で収録し、ランス聖書に付けられたカトリック側の注釈を批判する目的で、ファルク自身の徹底した論駁を追加した形の新約聖書である。この聖書を提示した当初の意味は、羽入が議論の前提としている「エリザベス朝時代(1558-1603)には新たな聖書は三種類しか出されていない。」という主張への反論である。つまり、三種以外の他の聖書(場合によっては既存聖書の再編集版や改訂版など)が存在していた、という例として挙げたものである。(余談になるが、「朝」とはある君主の在位期間のことで、「エリザベス朝時代」は重言である。)この聖書は、ランス新約聖書を含んでいるため、コリント7.20”vocation”となっているテキストが含まれ、かつ複数の版が出版されているが、オリジナルの翻訳ではなくまた宮廷聖書という呼び方にもそぐわない点が弱い。

 (2)については、20049月のハイデルベルク大学図書館の調査で、「1599London Christph. Bakrer版英訳聖書」に遭遇した後、この聖書の詳細を調べている過程で発見したものである。Christopher Barkerはエリザベス朝での王室御用達印刷商であり、国務大臣ウォルシンガムとの強いコネを利用し、英訳聖書や議会の法律など、公的な印刷物の独占権を有していた。ちなみに、その息子がRobert Barkerで、欽定訳の印刷・出版はこの息子の手による。息子の方は、後に有名な「姦淫聖書」という誤植事件(モーセの十戒の「汝姦淫するなかれ」の notを落として「汝姦淫せよ」にしてしまったもの。同業の印刷商の陰謀によるとされる。)を引き起こして獄死する。[53]

 Christopher Barkerは、157569日に、Juggeという別の印刷商(Barkerの前に英訳聖書印刷の権利を持っていた)に宛てて、王室向けの英訳聖書の印刷の権利(privilegepatentと表現されるが、今日の特許や著作隣接権などとは違い、公認の出版独占権に近い)を得ることができたことについて感謝状(”Barker's satisfaction to Jugge”)を送っている。[54]その中に「ラテン語から翻訳した英訳聖書」についての言及がある。以下、引用する。

“...honrable privie counsell accordinge to hir highnes jniuntions, for the printinge of theise Twoo Bookes hereafter mencioned That is to saye. A Byble in Englishe with notes in the same which was dedicated unto hir maiestie in the ffirst yere of hir highnes reign and commenly called or knowen by the name of the Geneva Byble and a Testament to be translated out of the latin tonge into the Englishe (the Lation copie thereof by hir highnes privledge) belonginge to one Thomas Vautrolier a frenchman.  ...”

この手紙で、C. Barkerは、二種類の書籍の印刷の権利を得たと言っている。一つは、いわゆる「ジュネーブ聖書」である。(手紙ではエリザベス女王即位の年に献呈されたとあるが、1558年と1560年で若干合わない。ジュネーブ新約聖書のことを指しているのかもしれない。)もう一つが、フランス人であるThomas Vautrolierが権利を持っていた、「ラテン語から英訳されたTestament」(≠聖書)である。同時にラテン語テキストの権利が女王に属するとしているので、英訳テキストとラテン語テキストの両方が存在していることがわかる。この場合の「ラテン語テキスト」がヴルガータなのかエラスムス訳なのかあるいはさらに別のものか詳細は不明であるが、英訳の方がギリシア語からではなくラテン語から訳されたことにより、コリント7.20”vocation”と訳されているのではないかと推定した。Thomas Vautrolierは、フランスから亡命してきたユグノーの印刷業者であり、この手紙にあるように、ラテン語関係の聖書の権利を多く持っていた。さらには最初はアントウェルペン(アントワープ)の印刷業者のイングランドでの代理人を務めていて、後に自身でも印刷・出版を行うようになった。後にスコットランドで、イングランド王を兼ねる前のジェイムズ1世によるいくつかの書籍の印刷・出版にも携わっている。[55]

 この「ラテン語から訳された英訳Testament」が、ヴェーバーの言う「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」ではないか、という二番目の仮説をHerbert本で検証してみた。しかし、VautrolierC. BarkerもどちらもHerbert本では、ジュネーブ聖書ベースの聖書と主教聖書しか印刷・出版していなかった。特にC. Barkerの方は主教聖書は他の印刷業者に外注していたようで、自身はジュネーブ聖書ベースの聖書に専念していた。[56]ここで、仮説の根拠となった手紙を子細に検討してみると、C. Barkerは「権利を得た」と言っているだけで、それを「印刷・出版した」あるいは「する予定がある」とは一言も言っていない。また、”Testament”とあることから、おそらく新約聖書だけであり、それにラテン語テキストが付いているということをヒントに、改めてA.W.Pollard本他を調査した。16世紀の英訳新約聖書で、ギリシア語からではなく、ラテン語から訳したと主張しているものが、カトリックのランス新約聖書以外にもう一種類だけ存在していた。それが1538年のカヴァデイル訳の新約聖書改訂版である。これは年表の12番、Herbert番号で37番であり、カヴァデイル訳新約聖書の改訂版とヴルガータ版ラテン語新約聖書の二カ国語対訳聖書である。[57]まさしくC. Barkerの記述と合致する。カヴァデイル訳の聖書は、元々大陸で印刷されており、その意味でVautrolierが関わっていても不思議ではない。C. Barkerがこの聖書を結局印刷・出版しなかったのは、二カ国語対訳新約聖書という意味はあっても、英訳の方がジュネーブ聖書新約に比べて既に古くなっており、新たに出版する意義が薄い、と判断したのではないかと推定する。この新約聖書はエリザベス朝のものではないため、二番目の仮説も間違いであった。またおそらくコリント7.20も初版と同じく”callynge”であったろう。二番目の仮説は結論としては間違いで堂々巡りをすることになった。しかしながら三番目の仮説に到達する上でその推理と調査は決して無駄ではなかった。

 さて、その三番目の仮説である。筆者は、20049月にハイデルベルク大学の図書館に行き、そこの蔵書票でChristopher Barker出版の1599年のジュネーブ聖書を発見したことは前述した。これとほぼ同じものではないかという聖書が、京都外国語大学の図書館[58]にあることが、その後のインターネットでの調査で分かり、2004115日に同図書館を訪問し、次の二種類のChristopher Barker出版の聖書を閲覧させてもらった。

(1) Bible = The Bible. -- London : Christopher Barker, 1583.『聖書』(英語)

(2) Bible = The Bible : That is The holy scriptvers conteined in the Olde and Newe Testament...

  -- London, 1599.『旧約・新約聖書』(英語)

この二つは、同じ出版社から出たジュネーブ聖書ベースのものでありながら、以下のように何から何までが対照的であった。


 

 

 

1583年版

1599年版

 サイズ

31cmX48cm

Large folio

18cmX22cm

quartoに近い)

 テキスト

1560年版ジュネーブ聖書

ジュネーブ聖書の新約をトムソンが改訂し、さらに黙示録への注釈をJuniusが改訂したもの

 収録内容

エリザベス女王への献呈文、クランマーの序文、系図、暦(1578年〜1610年)、聖書に関するQ&A、新約、旧約、旧約外典

新約、旧約、系図(旧約外典は目次にはあるが実際には存在しない)

 活字体

本文がゴシック体、注釈がローマン体

本文、注釈共にローマン体

 その他

Cranmer Bible」と書かれた外箱がついている。

大陸で印刷された海賊版である可能性が高い。(誰が書いたか不明だが、そういう記載のあるメモが添付されていた。またDr. Gene Scottのコレクションでも、この年の出版のものには多く大陸での海賊版があったとされ、旧訳外典が省かれているのもその特徴だとされる。)

推定Herbert
番号

178番(暦が1578年からになっており、その年に出版された154番の再版と思われる)

248255番のどれか

 

 特に注目すべきは、1583年版の方である。テキストの確認の結果[59]1560年版ジュネーブ聖書であることは疑いようがなかったが、何と外箱には”Cranmer Bible”(大聖書)と書いてあった。実際に、クランマーの序文がついているのである。これと同じ版であると思われるものが、前述のロサンゼルスのDr. Gene Scottコレクションにもあった。[60](そちらには外箱は付属していなかった。)そこでの解説によれば、クランマーの序文は、「大聖書」「ジュネーブ聖書」の一部の版、「主教聖書」と三種の聖書で使い回されている、ということであった。外箱の表示は、このクランマーの序文にだまされて所有者が後からつけたものか、あるいは古書商が希少本に見せかけるためにつけたものではないだろうか。あるいは、国教会の中の「隠れピューリタン?」が自分達の教会でジュネーブ聖書を使用するために、わざと外観を似せて作った、ということも考えられよう。ともかくも、ここで強調すべきなのは、いわゆる「ジュネーブ聖書」がきわめて多種・多様であるということである。まず、テキストだけでも、

1557年の新約聖書

1560年の新約・旧約聖書

1576年初版のトムソン改訂の新約聖書

と△竜賁鵑料箸濆腓錣酸蚕

い離肇爛愁鷁訂の新約の黙示録への注釈をJuniusが改訂したもの[61]

という具合に五種類も存在する。羽入は前述したように、,鉢△まったく別物であるかのように厳しく区別するが、不思議なことに△らイ泙任蓮△垢戮動譴らげに「ジュネーブ聖書」と呼んで同一視している。(羽入論考の文献リストには、グ奮阿呂垢戮撞載されている。イ皹入も京都外国語大の図書館を訪問しているようなので、見るチャンスはあったはずである。)△らイ亡悗靴董△覆襪曚疋灰螢鵐鉢7.20の部分の訳はほぼ同じであるが[62]、他の部分には少なからぬ異同があり、区別して扱うべきである。

 テキストの違いだけに留まらず、第2章で紹介した、ジュネーブ聖書の特徴と言われるものも、すべてのジュネーブ聖書で共通しているわけではまったくないのである。

1)注釈

Dr. Gene Scott Bibleコレクションの中には、ポケットサイズ(32折り版)のジュネーブ聖書があった。(1589年、1590年、推定Herbert番号207)この聖書ではサイズの関係からか注釈は省かれていた。

2)活字体

Christopher Barker出版のジュネーブ聖書は、多くはゴシック体(Black Letter)であった。1576年に上記のトムソン改訂版が出版されると、そちらは主にローマン体で印刷され、ゴシック体の1560年版と区別がはかられた。(3)サイズ

1560年版はquarto、すなわち四つ折り版であった。しかしながら、上述したポケットサイズからラージフォリオサイズまで、ほとんど当時可能であったありとあらゆるサイズの版が存在する。

4)その他

Dr. Gene Scott Bibleコレクションの中のジュネーブ聖書には、Herbert番号の無いものもいくつか散見された。Herbert本といえども、存在したすべての英訳聖書を網羅しているのではないということである。また、時代が下って1715年の出版になるが、新約が上記イ痢屮肇爛愁鷁訂の新約+Juniusの黙示録への注釈改訂」のジュネーブ聖書であり、旧約が欽定版という、いわば「ハイブリッド聖書」まで存在しているのである。(Herbert 936番)

 

 これらの現物のジュネーブ聖書を多数観察したことから言えるのは、もし我々が何かエリザベス朝の英訳聖書の現物を説明も無しに見せられたとしても、その出版事情を正確に理解することはきわめて困難ということである。[63]ここで改めてヴェーバーの「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」を考察すると、この表現はOEDの記述を見るだけではまず出てこない。おそらくはヴェーバーは古書商などを通じて、エリザベス朝の英訳聖書をいくつか入手したのだと推定される。Herbert本にあるエリザベス朝での英訳聖書は、出版件数で173種であり、そのうち実に58%にあたる101種がジュネーブ聖書ベースのもの、そして18%にあたる32種が主教聖書である。(これは出版件数での比率であり、部数での比率はさらに高かったであろう。)おそらく、ヴェーバーが入手できたものも、入手しやすさから考えて、大半がこのどちらかであったであろうと推定される。そしてヴェーバーは、主教聖書ではなく、ジュネーブ聖書ベースのものの方を表現するのに、「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」という言い回しを使ったのであろう。これはある意味「言い得て妙」であって、実際ジュネーブ聖書ベースの英訳聖書はエリザベス朝のイギリス国教会の「事実上の標準聖書」であり、それを「主教聖書」という教区の教会に備え付けられた聖書と区別するために「宮廷用聖書」という言い方を用いたのであろう。(”Printer to the Queens “であったC. Barkerが自分で印刷・出版したのは、ジュネーブ聖書ベースのものだけであることにも注意。[64])その際に、ヴェーバーは1560年のジュネーブ聖書とC. Barker版の関係については、正確には把握していなかったかもしれない。しかし、現在我々がそれを正確に区別できるのは、A. W. PollardHerbertらの研究のお蔭であって、いわば後付けの知識に過ぎない。(ジュネーブ聖書が「有名」という判断にも注意すべきで、実際にはあるインターネットのサイト[65]に書かれていた通り、欽定訳の圧倒的輝きの前ではジュネーブ聖書他のそれ以前の英訳聖書は、”Forgotten translation”と評価する方が一般的と思われる。ちなみに欽定訳は今日でも、アメリカの書店できわめて容易に入手できる。それどころか、結婚するカップルへの定番の贈り物とされているようである。[66]それに対し、ジュネーブ聖書はまず前述のファクシミリ版や古書商でしか入手できない。)

 羽入は、「エリザベス朝時代(一五五八−一六〇三)には新たな聖書は三種類しか出されていない。」として、たとえばジュネーブ聖書の多数の版の異同やウィリアム・ファルクによる注釈(反駁)付き新約聖書などは無視して、単純に要素数を限定している。その上で、三つのうち主教訳聖書は訳語が”calling”であり、またランス新約聖書(羽入論考ではリームズ新約聖書)はヴェーバーが既に言及しているからとして除外し、強引な消去法で「ヴェーバーがここで言っているのはジュネーブ聖書である」というほぼ正しいと思われる結果に一度は行き着いている。ただし、この「エリザベス朝における宮廷聖書」が複数形であることを説明し得ておらず、さらには、論点2と論点3の「OEDもヴェーバーもジュネーブ聖書について間違った理解をしている」を再度持ち出して、結局は「ヴェーバーの言っていることは意味不明でわからない。」と誤魔化してしまう。上記の筆者の推論から、もっとも明証的だと思われるのは、たまたま羽入も仮説として提示した「ジュネーブ聖書」を指しているということである。ただし、羽入が単純化してひとまとめにしてしまった「ジュネーブ聖書」ではなく、主にChristopher Barkerという「エリザベス女王御用達」印刷業者が出版した、「ジュネーブ聖書ベースの」英訳聖書(複数)が正しいと思われるのだが。[67]

羽入はさらに、たとえジュネーブ聖書が正解だとしても、「過激な注釈が付いた」「カルヴィニスト達が作った」ジュネーブ聖書を「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷用聖書」と呼ぶことが錯誤だと主張する。しかし、過激な注釈については、主にカトリックを攻撃するものであり、スペインを始めとするカトリック諸国と鋭く対立し、またイングランド国内のカトリック教徒に暗殺までされかけたエリザベス1世がそれを問題にしたという事実は見いだせない。[68]エリザベスの次のジェイムズ1世は確かにその注釈を問題視したが、それはカトリックへの攻撃が問題というより、王権をないがしろにするような注釈が気に入らなかったとされている。[69](ただ、敢えて公平に付記しておけば、カルヴィニズムのいわゆる「予定説」をイングランドに広めるのにもっとも貢献したのは、確かにジュネーブ聖書であったと思われる。Charles Eason によれば、1579年から1615年の間にイングランドで出版された、ゴシック体の1560年版ジュネーブ聖書には、付録として予定説に関するわかりやすいQ&Aがつけられていた。[70]

 また、「カルヴィニスト達が作った」という点も、ジュネーブに亡命していたカルヴィニスト達はエリザベスの即位後、続々とイングランドに帰国してピューリタンと呼ばれ「国教会の中で」国教会を改革しようとしていた。クリストファー・ヒルが正当に述べているように、「1640年以前に『ピューリタン』と『アングリカン』を分けることは、時代錯誤であると同時にまったく道理に反している。『ピューリタン』は、『主教派』あるいは『ロード派』など様々な名で呼ばれる人々とまったく同様に、アングリカンであった。」[71]と見るのが妥当であると考えられる。確かに後の歴史ではピューリタンは一度は国教会を支配し、その後結局は国教会からはほぼ袂を分かつことになるのだが、そうした後の歴史を遡って16世紀の実態に無自覚に適用すべきではない。

 さらには、「ヴルガータにならって”vocation”に戻っている」とう記述も、あくまで事実を淡々と述べていると解すべきであり、ピューリタンがカトリックの精神にのっとって訳を改訂した、などと読むのは、これまた羽入式のこじつけであろう。ましてやジュネーブ聖書(ベースの聖書)を「エリザベス朝のイギリス国教会の宮廷聖書」と呼ぶことを「英訳聖書の専門家達が腹を抱えて笑う」などという表現に至っては、ただただ羽入の理解の皮相さと人格的な問題点を暴露するもので、学問的正当性を欠く決めつけである。[72]ここまで読んでいただいた方は、笑われるのはヴェーバーか羽入か、どうかご自分で判断していただきたい。

 

 


5.結論

 

 以上、羽入論考第1章の論点1から3、および74つすべてを反駁した。これに、折原による論点4から6への反駁と別論考で反駁済みの論点8を加えて、羽入論考の第1章はすべての論点で崩壊しており、まったく論文の体を為さないといえる。筆者が検証したのは、もっぱら第1章に限定されているが、いわば「抜き取り検査」として見た場合、他の章の論考についても「ロットアウト」と判断しても間違いではないと筆者は確信する。[73]羽入が自称する「文献学」は、きわめて皮相的なものであり、学問として問題がある記述が多く含まれている。「木を見て森を見ない」だけではなく、しばしば「木すら正しく見ていない」と言える。


6.最後に

羽入論考の学問としての基礎を問う検証−批判として始まった筆者の研究だが、最後は「批判のための批判」に終わらず、16世紀の英訳聖書の独自の研究という領域にまで多少なりとも踏み込んで、筆者なりにヴェーバーを客観的に評価し直すことができたと思う。もちろん至らない点、多数存在するであろう間違いについては、今後の各位のご批判を待ちたい。言うまでもないが、羽入自身からの建設的な再反論はもっとも歓迎すべきことである。

 

私なりに、今回の(羽入の応答がなかったことにより)論争にならなかった「論争」を振り返ってみれば、次に引用する紀田順一郎氏のエッセイ「読者の不在」の一部が示唆的である。[74]

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(前略)

活字の世界の情報型への変容と、いわゆる文化人の消滅とは符節が合っている。気がつくと、私たちの周囲には長い知識教養のスパンを備えた、人生を語ることができる個性が姿を消し、かわって有能だが限定的な専門家や職人で溢れ返るようになってしまった。

 

このような状況は、執筆者や読者の意識にも微妙な影響をもたらした。研究・執筆テーマが部分化、細分化するのは当然だが、その上で目先の効率化が優先され、時間をかけた体系的、包括的テーマへの志向が殺がれる。一人の著者が「通史」に取り組むなどは、夢のまた夢となった。これに経済不況や大学の経営化が拍車をかける。読者も部分志向となり、読者カードなどにも重箱の隅をほじくるような指摘が目立つようになった。

(後略)

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ヴェーバーはその気になれば、博士号論文である「中世商事会社史」の延長線上での経済史や法制史の分野での「有能で限定的な専門家」として生きることはきわめて容易であった筈である。しかしながら、その枠を大きく超えて、比較文明・比較宗教的な視点で西洋近代の「合理化」を考える、スケールの大きい決疑論(Kasuistik)を展開させていった。それに比して羽入は、(語学力や細かい事にこだわるという一面的な意味で)「有能」であると仮に認めたとしても(本文で論証したようにそれすらしばしば怪しいが)、著しき視野狭窄・遠近感の喪失に陥っている。また、そうした羽入を褒めそやした養老孟司を始めとする多数の「似非」文化人(末人)の跳梁も、まさしく「(真の)文化人・教養人の消滅」、「本物の読者の不在」と言うことができよう。バランス感覚に優れた研究活動をするためにも、またそうした研究活動を正当に評価するためにも、「長い時間をかけて涵養された深くて広い教養」は不可欠であると確信する。羽入の出身学科が「『教養』学科」であるというのは、皮肉なことである。筆者はアマチュア研究者として、そしてもう一人の「『教養』学科」出身者として敢えて今、「教養」の意義を世の中に訴えたい。

 

 最後になりましたが、羽入批判の最先端に立って多数の論考を発表され、また「学問の未来」の後書きで筆者にまで過分のお言葉を与えてくださった折原浩先生、論争の場を提供されかつアマチュアの論考をも快く受け付けてくださった橋本努先生、辞書学者として査読にもおつきあいいただいたN先生、さらにはハイデルベルク大学図書館の皆様と貴重なアドバイスをいただいたヴォルフガング・シュルフター教授、バイエルン科学アカデミーのEdith Hanke博士、徳島県立図書館と京都外国語大学図書館の皆様、そしてDr. Gene ScottコレクションのあるロサンゼルスのUniversity Cathedralの皆様、およびそのロサンゼルスでの調査を支援してくれた高校同期のN君、S君にこの場を借りて篤く御礼申し上げます。

 

20061111日擱筆)

 

 



[] 六本の論考については、筆者の個人HPを参照。http://www.shochian.com/hanyu_hihan00.htm

[] 折原浩著、「学問の未来――ヴェーバー学における末人跳梁批判」、未来社、2005

[] 折原浩著「ヴェーバー学のすすめ」、未来社、2003

[] 養老孟司は、山本七平賞の選考委員代表として、羽入書を「本書は難解とされたヴェーバーの代表的業績、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるヴェーバーの論証が、知的誠実性をまったく欠くことを、文献学的検証によって明確に証明したものである。仮に著者の論考が誤りであることを証明したいなら、同じ手続きを踏めばいい。評者にはもちろんそんな暇はない。したがって当面、それがいかに破天荒なものであったとしても、著者の結論を素直に受け入れるしかない。」と講評した。 ちなみに、本論考のタイトルは、そんな養老孟司への当てつけの意味も込めている。                  

[] たとえば、文化人類学者の川喜田二郎氏の「KJ法」など。

[] 一次・二次資料という観点とやや異なり、本人がその場で直ちに書いたものか、あるいは他人が別の場所で後から推測で書いたものかといった観点で、歴史的資料の価値を一等・二等・三等…と言う風に分類するもの。

[] 筆者の懸念は杞憂に留まらず、副島隆彦編著「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」、祥伝社、2005年、のように、低レベルなエピゴーネン達は既に登場している。

[] http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Orihara%20Hiroshi%20Essay%20Mirai%20200401.htm 折原浩、「学者の品位と責任――『歴史における個人の役割』再考」、雑誌『未来』20041月号1-7頁所収  

[] A. S. Herbert, Historical catalogue of printed editions of the english bible 1525 - 1961, revised and expanded from the edition of T. H. Darlow and H. F. Moule, 1903, LONDON The British and Foreign Bible Society, NEW YORK, The American Bible Society,1968

[10] この論文要旨は、インターネット上で参照可能な、「東京大学学位論文データベース」による。

[11] 折原浩、上掲書

[12] ジュネーブ聖書を含む16世紀の英訳聖書については、以下を参照。

書籍

·           田川建三、「書物としての新約聖書」、勁草書房、1997

·           ベンソン・ボブリック著、千葉喜久枝、大泉尚子訳、「聖書英訳物語」、柏書房、2003

·           Alfred W. Pollard, “Records of the English Bible, the documents relating to the translation and publication of the bible in English, 1525-1611”,Oxford University Press, 1911, Reprint: Wipf and Stock Publishers, 2001

·           David Daniell, “The Bible in English”, Yale University Press, 2003

·           David Dewey, “A User’s Guide to Bible Translations Making the Most of Different Versions”, InterVarsity Press, 2004
Web
ページ

·           The Geneva Bible: The Forgotten Translation http://www.reformed.org/documents/geneva/Geneva.html

·           The English Versions of Scripture Early Bibles in General http://www.bible-researcher.com/versions.html

·           The Bible in English Before and After the Hampton Court Conference, 1604
http://www.princeton.edu/rbsc/exhibitions/bible/Bible_in_English_2004.pdf    

 

[13] 他に1588年のフランス語訳も「ジュネーブ聖書」と呼ばれる。

[15] マックス・ウェーバー著、梶山力訳、安藤英治編、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》」、未来社、1994

[16] マックス・ヴェーバー著、大塚久雄訳、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、岩波文庫、1989

[17] マックス・ヴェーバー著、梶山力 大塚久雄訳、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、岩波文庫、1955

[18] Dr. Gene Scott Bible Collectionでの説明による。http://www.drgenescott.org/stn38.htm に、” 1560 First Edition - Two of the five examples in this collection of this rarity, with only 160 printed in all!”とある。自身のコレクションの稀少性を強調しているものなので、若干疑わしい気がしなくもないが、他の文献で初版の部数を再確認することはできていない。

[19] David Daniell、前掲書

[20] 永嶋大典著、「英訳聖書の歴史」、研究社出版、1988

[21] 田川建三、前掲書

[22] David Daniell、前掲書

[23] David Daniell、前掲書、p.275”It marked both a great contrast to the Great Bible, and – though at first it might not seem so today – a long stride forward.”

[24] Oxford English Dictionary second edition/ on CD-ROM Version 3.1, Oxford University Press, 2004

[26] 出版社「Christopher Barker」で検索できる。たとえば、1585年版 US$ 1240.581588年版 US$ 2472.391599年版 US$ 4500.00など。

[29] ハイデルベルク図書館の司書の情報による。

[30] Dr. Gene Scott Bible Collection http://www.drgenescott.com/stns.htm

[31] http://www.drgenescott.com/home.htm http://www.rotten.com/library/bio/religion/dr-gene-scott/ などを参照。なお、博士は20052月に亡くなられている。

[33] 以下、OEDNED)とマレー博士については、以下を参照。

·           ジョナサン・グリーン著、三川基好訳、「辞書の世界史」、朝日新聞社、1999年のXIII

·           サイモン・ウィンチェスター、鈴木主税訳、「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」、
早川書房、1999

·           Donna Lee Berg, “A Guide to the Oxford English Dictionary”, Oxford University Press, 1993

·           http://www.OED.com/

[34] CD-ROM版での検索による。

[35] おそらく小辞典では510行程度、研究社の大英和クラスでもせいぜい2030行程度。

[36] ちなみに、広辞苑は辞書学上の分類では「中辞典」に過ぎない。日本語の大辞典は現時点では「日本国語大辞典」、小学館など。漢和の大辞典では(諸橋)大漢和辞典、大修館書店が有名。

[37] 何人かの研究者により、今日ではOEDが挙げる用例よりも古い初出例が多数の単語について確認されている。

[39] http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Recorde のWikipediaRecordeの項参照。

[40] ジョナサン・グリーン著、三好基好訳、前掲書

[41] 以下、本論考で参照した書籍の日本語聖書を示す。

·           新共同訳:「新約聖書、詩篇つき」、日本聖書協会、2003

·           共同訳:「新約聖書 共同訳全柱」、講談社学術文庫、1981

·           口語訳:「聖書 口語訳」、日本聖書協会、2004

·           文語訳:「新約聖書 詩篇附」、日本聖書教会、2003

·           フランシスコ会訳:「新約聖書」、サンパウロ、1979

·           新改訳:「新約聖書 新改訳 詩篇付」、日本聖書刊行会、1976

[42] たとえば、”The New Jerusalem Bible”(英語版)では、”Everyone should stay in whatever state he was in when he  was called.” “New Revised Standard Edition”(英語版)では、”Let each of you remain in the condition in which you were called.” また“La Bible traduction œcuménique”(フランス語共同訳、”La TOB”)では、”Que chacun demeure dans la condition où il se trouvait quand il a été appelé.” 、さらに”DIE BIBEL, Einheitsübersetzung der Heiligen Schrift”(ドイツ語共同訳)では”Jeder soll in dem Stand bleiben, in dem ihn der Ruf Gottes getroffen hat.”(ボールド、イタリックは筆者)

[43] A.リチャードソン/J.ボウテン著、古屋安雄監修、佐柳文男訳、「キリスト教神学事典」、教文館、2005年、の「天職」の項参照。

[44] グリムのドイツ語大辞典(CD-ROM版)で、”Beruf””Ruf”を調べてみた。このドイツ語大辞典が最終的に完成したのは、本文中に記述した通り1961年のことであるが、”Beruf”の項は1853年にJ. Grimm”Ruf”の項は1891年にM. Heyneにより編集されており、ヴェーバーが倫理論文を書く前の編集である。ヴェーバーがグリム大辞典(の当時出版されていた分冊)を参照したかどうかは倫理論文中には記載されていないが、OEDの前身のNEDをあれだけ参照しているヴェーバーがグリム大辞典を参照しなかったということは想定しにくい。

 “Beruf”の項では、2つの語義が書かれている。1つめはラテン語のfamaにあたる、「名声・評判」という意味である。2番目の語義が、            ラテン語のvocatioに相当し(ドイツ語ではさらに新たな意味が付与された)、いわゆる「天職」である。ここでグリム大辞典は、この意味での語源の一つを、”bleibe in gottes wort und übe dich drinnen und beharre in deinem beruf. Sir. 11, 21; vertraue du gott und bleibe in deinem beruf. 11, 23” 、つまりヴェーバーと一致して「ベン・シラの書(集会の書)」としている。

 これに対し、”Ruf”の項では、「過渡的な用法」として、「(内面的な使命としての)職業」を挙げている。また、「外面的な意味での職業」、つまり召命的な意味を含まない職業の意味ではほとんど用いられたことがなかったと説明されている。さらにはルター自身の用例が挙げられている:” und ist zu wissen, das dis wörtlin, ruff, hie (1 Cor. 7, 20) nicht heisze den stand, darinnen jemand beruffen wird, wie man sagt, der ehestand ist dein ruff, der priesterstand ist dein ruff.   LUTHER 2, 314a” このルターの章句がどのような文脈で使われたものなのか、残念ながらまだ突き止められていない。しかしながら、ルター自身が、コリントI 7.20のこの部分を、今日のほぼすべての学術的聖書が採用する「状態」(Stand)の意味ではない、と明言しているのは非常に興味深い。

 コリントI 7.20の翻訳にあたって、ルターは羽入が指摘したように、生前の翻訳においては、”ruff”または”Ruf”を使用し、”Beruf”とはしていない。このことの理由は、ヴェーバーが倫理論文で述べているように、古いドイツ語訳の訳語を尊重しただけなのかどうかはわからない。しかしながら、グリム大辞典にあるように、”Ruf””ruff”)は過渡的に使用され、最終的には”Beruf”に収斂している。この場合、ルターがコリントI 7.20を一貫してたとえば”Stand”とし、ルターの死後、ルターのあずかり知らないところでそれが”Beruf”に改訂されたのなら、確かにヴェーバーの議論は成立しない。しかしながら、”Ruf ””ruff”)にせよ、”Beruf”にせよ、元々は動詞であるrufenberufenからの派生語であり、そのどちらにも今日のような「世俗的職業」という意味はまったく含まれていなかったのである。「神の召し」という意味に、世俗的職業という意味を含有させる可能性がある章句は、新約聖書全体では、このコリントI 7.20以外はありえないであろう。(コンコルダンスの「召す」の項目を参照。)その意味で、コリントI 7.20が「架橋句」であると解釈される。

 このコリントI 7.20で橋渡しされた「召し」と「世俗的職業」という意味が、ベン・シラにおいて、翻訳者のある意味「意訳」によって、通常ならArbeitGeschäftと訳されるべきものがBerufと訳され、ここに「翻訳者による新たな語義創造」は完成するとヴェーバーは述べている。この「ベン・シラの書(集会の書)」は、旧約聖書外典に含まれ、いわば「処世訓」的な性格のものである。ルターは、外典を含む聖書の全体をすべて同格にはけっして扱っていない。正典に含まれる「ヨハネ黙示録」や「ヤコブの手紙」を自分の教義とは違うからという理由で排除しようとしたのは有名である。その意味で、ベン・シラにおいて比較的「自由な」翻訳が行われたとしても、決して不思議ではない。
 また、この「ベン・シラの書」の翻訳者がルターかメランヒトンなどの他の人間か、という議論も些末にすぎよう。ヴェーバーは「翻訳者の精神」の翻訳者を複数形にしており、「ルター」と書いてあっても、それは「ルターが中心になっていた聖書の翻訳グループ」と解釈すべきであろう。
 なお、この問題について、改めて整理して詳論する機会もあるかもしれないが、当論考においては、脚注にとどめておくことにしたい。

[45] SwordSearcher Bible Software Ver.4Brandon Staggs, 2004年?に収録のもの。

このCD-ROMには、以下の電子テキストなどが収録されており、有用である。

King James VersionWycliffe TranslationTyndale TranslationGeneva BibleTextus ReceptusLuther Bible

[46] Nestle-Aland, “Novum Testamentum Latine”, Deutsche Bibelgesellschaft, 1986

[48] 池田潤著、「ヘブライ語のすすめ」、ミルトス、1999

[49] 橋本功著、「英語史入門」、慶應義塾大学出版会、2005

同著、「聖書の英語−旧約原典からみた−」、英潮社、1995

なお未読だが、同じ著者で「聖書の英語とヘブライ語法」、英潮社、1998年、もある。

[50] 以下の各書。

·           池田潤、前掲書

·           キリスト教聖書塾編集部、「ヘブライ語入門」、キリスト教聖書塾、1985

·           谷川政美著、「旧約聖書 ヘブライ語独習 聖書アラム語文法付」、2002

[51] ここでのリソースは、以下の通り。

·           ジュネーブ聖書:http://www.thedcl.org/bible/gb/index.html の1560年版ファクシミリ版画像より

·           ランス新約聖書:http://www.hti.umich.edu/r/rheims/browse.html のもの

·           ヴルガータ:Nestle-Aland, 前掲書

·           新共同訳:JNET新共同訳1.50

[54] Alfred W. Pollard, 前掲書

[56] Alfred W. Pollard, 前掲書, pp.326-327,”Barker’s circular to the city companies”参照。

[57] Alfred W. Pollard, 前掲書, pp.206-214

[59] 筆者の論考、「1583年と1599年のChristopher Barker出版聖書(京都外語大学図書館所蔵)の調査結果」、http://www.shochian.com/hanyu_hihan05.htm を参照。

[60] http://www.drgenescott.com/stn20.htm に次のように紹介されている。

“The “Noblest” Large FoliOEDition - 1583 - Printed in London by Christopher Barker, the court printer to Queen Elizabeth. Large “Black Letter” type, black & red title page with Royal Initials at sides. Contains Cranmer's Prologue (to the Great Bible), and several typographic woodcuts as well as a full-page engraving facing Genesis. A sumptuous book and a very well preserved example, at that. (Herbert #178)”

[61] 当時流行していた千年王国思想の影響で、ヨハネ黙示録への注釈がより増強され、カトリックへの攻撃もより辛辣になっている。

[62] 単語の綴り、文字飾りの付け方などに多少の差が存在する。

[63] 前掲のSwordSearcherというCD-ROMに収録されたジュネーブ聖書の版を出版元に問い合わせたところ、1587年出版でテキストは1560年版と同じということだった。ところが、筆者の方でテキストをチェックした結果は、60年版ではなくトムソン改訂版であった。現代のこういうCD-ROMを出している出版元ですら、ジュネーブ聖書を正確には鑑定できていないという一例である。

[64] Alfred W. Pollard, 前掲書, pp.326-327,”Barker’s circular to the city companies”参照。

[66] たとえば、http://www.parable.com/tbn/item_0834003589.htm

“This edition is a marvelous way to pass on a legacy of faith to a new generation. Designed specifically to encourage families to worship together, it makes a splendid gift for bridal showers, weddings, special occasions, or holidays.”

[67] 200611月に商用でミュンヘンを訪れた際に、バイエルン科学アカデミーに残されているヴェーバーの蔵書を調査した。同アカデミーのEdith Hanke博士からいただいたリストでは、その数はわずか99種に過ぎず、英訳聖書どころか、ドイツ語の聖書も含まれていなかった。Hanke博士によれば、ヴェーバーの蔵書は、ヴェーバーの引っ越しの際や没後に整理・売却されており、ここに残されているのはごく一部に過ぎないということであった。

[68] ベンソン・ボブリック、 前掲書など。

[69] 田川建三、前掲書、pp.563-564

[70] Charles Eason, M.A., “THE GENEVAN BIBLE – Notes on its Production and Distribution”, DUBLIN: EASON & SON, LTD., 1937pp22-26参照。そのQ&Aの内容は、たとえば質問(Q)の方は「すべての人が永遠の生命に運命づけられているわけではないのですか」「ある者が滅びに定められているということは神の正義と両立するのですか」「どうやったら自分が神によって永遠の生命にと定められていると知ることができるのですか」など非常に具体的かつ核心をついたものである。

[71] クリストファー・ヒル著、小野功生訳、「十七世紀イギリスの宗教と政治」、法政大学出版局、p.335

[72] 羽入が英訳聖書について教えを請うたという(羽入書p.13)、寺澤芳雄東大名誉教授については、筆者も学生時代、社会言語学の授業で教えを受ける機会があった。仮に羽入の論が100%正しかったとしても、寺澤氏はヴェーバーのことを「腹を抱えて笑う」ような方ではないことを、筆者は断言しておく。羽入の謝辞は時として、却ってそれが向けられた方を人格的に貶める結果になってしまっている。

[73] 羽入論考の第1章は、実は羽入の研究の順番としては最初のものではない。にも関わらず羽入が最初に持ってきているのは、OEDの誤りをそのまま引き継いだなどの議論が、素人受けしやすいからであろう。それが論文全体への信頼感を大きく損なわせるという意味で皮肉にも逆効果になっている。

[74] http://www.kibicity.ne.jp/~j-kida/image/2006/092001/index.html の紀田順一郎氏のHPに掲載された2006920日付のエッセイより。