右の返事
 
  謹啓。御公用多忙の御出張先へいかがと存じ候へども、一刻も早く御詫申上げずては相済まずと考え、一書奉呈(ほうてい)仕候。第二の父と仰ぎ奉る先生の至懇至情の御訓戒に接し、これまでの迷夢忽ち(たちまち)覚醒(かくせい)仕候。何をか隠し候べき、悪友の誘惑にまどわされ、子として将た学生としての大道を忘れ候事何とも以て申訳無之候。国許の父の事、仰聞(おおせき)けられ、静かに考え候へば涙流れ出で申候。何にも致せ、かく翻然悔悟仕候上は、今日これより教科書の塵を掃(はら)い必死を期して勉強仕る覚悟に有之候へば、何卒父には及落の結果相分るまで御知らせ無之様切に奉願候。
万一落第致候はばもはや天命、先生に対しても両親に対しても面目無之、今より覚悟致し可申候。転宿の事御高諭(こうゆ)被下尚忝(かたじけな)く奉泣謝(きゅうしゃ)候。
実は昨年十一月短編小説を「少年文壇」に投書致し、僥倖(ぎょうこう)にして一等に当選致候が原因にて、直ちに誌友に挙げられしより、同誌愛読者と称する者と文通致し、良からぬ交際を生じ、遂に秘密にて数回暗黒の地に入りし様の訳に御座候。御諭(おさとし)の如く彼等は最も悪(にく)むべく、咀ろふべき悪魔に有之候。されども、同学の者にては無之候間、通学勉強には只今の所にて毫(すこし)も差支(さしつかえ)無之と存候。万一彼等再び誘惑に来り候とも、小子は父の写真と先生の御手紙とを目の前につきつけ、断然、交際を絶ち可申候間、此の段は幾重にも御信用御休意(きゅうい)の程奉願候 かへすがへすも国の父母へは何卒御内秘(ないひ)被下候様、尚叉この上ながら御教訓よろしく奉仰候。
先は御詫(おわび)まで如斯(かくのごとくに)御座候。恐惶頓首。
 
 

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