アブライカ、おそらく油烏賊とでも表記するのだろうが、この言葉を知っている人はそう多くないだろう。一言で述べると、タイを一本釣りで釣るための餌で、あまりに簡単に釣れてしまうために、禁止されているものである。このアブライカと昭和天皇にまつわるちょっとしたエピソードをご紹介する。この話は、母方の祖母に聞いたものであり、何分昔のことでどこまで本当かはわからない。ただし、祖母は山口県下関市で、山陰側の吉母という小さな漁村(現下関市吉母町))から魚を仕入れ、同じ下関の唐戸市場に卸す、ということを10代の頃から60年も続けてきた人間で、もう仕事を辞めて10年以上になるが、彼女はある意味で下関の水産業界の生き字引的な存在である。
ある時、昭和天皇が下関に行幸されることになった。記録を調べると、東京オリンピックの行われた昭和39年(1964年)に確かに行幸の記録があるので、おそらくこの時のことだと思われる。この当時、下関の水産業は全盛期であり、下関港が大洋漁業の捕鯨の基地であったこともあり、当時水産物水揚げ量日本一の記録を作っている。そうした漁業の全盛期に昭和天皇が行幸されたわけで、関係者が贅を尽くして、あふれんばかりの海の幸を昭和天皇に食べていただこう、と考えたのは当然のことであった。
そういうわけで、祖母を含む唐戸市場の関係者には手を尽くして最高の海の食材をそろえよ、という命令がくだった。その中には、当然のことながら、魚の王様であるマダイが入っていた。ところが折り悪く季節は初夏、ただでさえ、タイは産卵後で釣れない時期で、しかも丁度行幸の1週間前から海が荒れて、まともなタイは市場にまったく入ってきていない、という状態であった。
しかしながら、メンツにかけてもなんとかタイを調達しようと考えた関係者は、ついに禁じられた手段を採ることを決意した。そう、それがアブライカである。アブライカとは、タイが異常に好むある種のイカの幼魚を、さらに非常に臭いの強い油(いまだにこれがなんの油か私はつきとめていない)に漬けたものである。どちらがより大事かというと、実は油の方で、もしイカが手に入らない場合でも、布きれにこの油を浸して餌がわりにしても釣れてしまうほど、タイにとっては魅力的な匂いを発するらしい。この餌はしかしながら、タイが釣れすぎて乱獲につながるという問題があって、各地で禁止されている。さらにもう一つ大きな問題があった。アブライカで釣ったタイは釣ってすぐさばいて調理しないと、飲み込んだアブライカの強烈な臭いが、すぐに身の方にまで移ってしまい、とても食べられなくなってしまう、ということである。
昭和天皇の食卓に供するため、という大義名分で、この時アブライカが使われ、目出度く必要な数のマダイを揃えることができた。臭いの問題も、調理人が同行し、釣ってすぐさばくことでなんとか回避することができた。そうまでして苦労した結果、昭和天皇の夕餉には無事立派なマダイの刺身や吸い物、その他が供された...
ところが、禁止された餌まで使って揃えたマダイであったが、関係者の証言によると、昭和天皇がもっとも好んで食されたのは、タイよりも、取れたてのイワシやアジ、つまりはいわゆる下魚だったという...
まるで目黒のサンマ、のような落ちではあるが、特殊なエサで無理矢理釣った季節はずれのタイよりも、旬の取れたてのイワシやアジの方が実は美味しい、というのは事実であり、海洋生物学者でもあった昭和天皇の舌の確かさがよくわかる話ではないかと思う。
補足:
なんとアブライカがWebで通信販売されていました。こちらを参照。 広島県では、アブライカが禁止されています。こちらを参照。 徳島県でも、アブライカに限らず、油類を餌に使用することは全面禁止されていました。 平成12年9月28日、上記の祖母、永眠いたしました。享年90。合掌。